「遠足は、行って帰るまでが遠足です」の教え

 ご機嫌麗しゅう。本田陽彦です。

 陽が落ちますと外の風が変わってきます。季節は変わっていますね。みなさまお変わりなくお過ごしでしょうか。

 

 私は胃の検査を控え、なんとなく心が落ち着きません。

 

 さて、昨日お風呂に入っていますと、紅葉を見に行きたくなりました。ってまだまだ先でしょうけれども笑

 小学生のとき、落ち葉拾いに行ったなあ〜って。思い出しました。落ち葉を拾うつもりが木の実が気になり、帰りに下げてくるビニール袋が重たくって・・・笑。そんな思い出があります。

 遠足に行くとき、そして学校に帰ってきたときに、必ず先生からこう言われたものです。

 

 「遠足は、行って帰るまでが遠足です」

 

 行きはワクワクしていて、ついつい駆け出したくなっちゃう。だから、気をつけなさいね。帰りは、ホッとして気が抜けるから、気をつけてお家まで帰りなさいね。きっと、そんな意味だったのでしょう。

 

 私ですね、最近の小学生の遠足事情を聞いてから、この言葉について別の解釈ができるようになりました。

 

 私たちの頃の遠足って、私は田舎の小学校でしたから、「田舎からチョイ都会へ」とか、「田舎からチョウ田舎へ」というコースが多かったんですよ。そりゃあ、もう、珍しい景色が広がっているわけです。

 チョイ都会に行くとなると、無機質な建物が徐々に増えていって、車の量が多くなって。「ほー、これが都会か」と笑。

 チョウ田舎に行くと、信号機が少なくなるし、道は砂利道になって靴のなかに小石が入っていたいし。棚田なんか出てきたら、もう、大興奮ですよ!!

 そして、目的地について、「楽しいよね、すごいよね〜」ってみんなでワイワイして、お弁当を食べて、さあ見学!

 帰るときも、自分の見慣れた景色が戻って来ることに、なんとなく安心するんですよね。「あ〜やっぱりココが一番だね」と。

 

 私にとっての遠足って、ずっと楽しかったんです。当然、何処に行きますよ、っていう目的地はあるんですけど、そこまでの道中もすっごく楽しい。

 

 ところが、最近の小学生の遠足って少し変わってきているみたいなんですね。 

 行きはバスのなかで、ゲームしたり、映像鑑賞。目的地について、「さあ、遠足開始!」。帰りはみんなシーンとして寝ちゃう。もちろん、これが事実の全部ではないと思うんですけれど、そんな感じなのか〜と。

 

 私が小学生の頃も、バスハイクってありました。みんなで歌を歌ったりして行くんですけど、窓の外に広がっている世界の方に興味があって。誰かが、「見てみて!お外すごいよ!」なんていうと、お歌どころじゃなくなります笑

 

 こんな経験があるもので、なんとなく寂しく感じてしまったんです。

 

 これって、「目的地至上主義」と言えるのではないかと思います。

 

 考えてみれば、私たち、無自覚にコイツにのっかっているんですよね。

 例えば、高校時代を振り返ってみると、「大学受験至上主義」ではないかと。高校って三年間あるんですよ。それなのに、学校の雰囲気は「君たち〜!まずは大学に合格しようね。話はそれから!恋愛なんて邪魔になるだけよ。合格して、人生はそれから始まるんだよ〜〜〜!」というものでした。

 これって、もったいない!!!!!!!って思うんです。せっかくの高校時代。青春時代ですよ。恋愛して、恋愛して、恋愛して・・・笑 恋愛していいじゃやないか!(悲しくなる汗)

 

 高校生なら、高校生にしかできない経験があります。正確には、今の瞬間にしか味わえない、至上の幸せがあるんです。それなのに、その幸せをおあずけに、まだ到達していない幸せだけしかないと思い込むなんて、かわいそうです。・・・そう言いながら私も同じような罠にはまっているのですけど😅

 

 もっと、今の幸せに浸っていいと思います。だって、幸せを味わうモードに切り替えたら、あれもこれも、みーんな幸せ〜〜💓っていう事実が広がっているのですから。

 

 みんなが幸せになりたくないから、私も幸せになっちゃいけない・・・ってことはないです。絶対にないです。だから、他人がどうとか気にする前に、私が幸せになりましょうよと。だって、自分を幸せにできるのって、自分だけなんですよ。どんなに素敵な王子様が迎えに来てくれても、それを幸せと思えないなら、幸せにはなれないです。

 

 よし!始めましょう!幸せ感じましょう週間!

 

 健やかで、危険がなく、心安らかに、幸せであれかし!