尊い友人たち

ここ数週間抱え続けている重たい感覚。

ズーンと重たい何かがまとわりついているような、流れていかない感覚。

なんとかならないものか…。

 
 
 
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A post shared by Terry (@teruhiko007)

何か音楽を聴こうかと思ってApple Musicを開いて「作業BGM」とか打ち込んでみる。

ちゃかちゃかした軽快な音楽が流れ始める。

いやいや、これじゃない笑。

 

なぜか「マタイ受難曲」と打ち込んでいる。

ミッション系の大学で学んでいた時のことを色々思い出す。

原理主義的だった心が徐々にひらかれていった時間。

魂をかけて探究する生の人たちに出会って、真理を感じた時間。

その信念のライトサイドもダークサイドも見た時間。

 

そっか。私にはそんな時間と関係性があったのだった。忘れていた。

いや覚えているのだけれど、いつも意識の前面近くにあるわけではない。

しかし折に触れて、思い出される等身大の尊い友人たちのこと、彼らとの交わりの時間。

祈ることについてたくさん教えてもらった。私は念ずることについて語ったものだ。

学問知を包み込む、実感を伴った学びの時間であった。

 

空を見上げる時間。空に意識を向ける時間。

手を合わせる時間。無言でこうべを垂れて祈る時間。

真理の表現に耳を傾ける時間。真実について語る時間。

無心に祈る時間。存在を晒し合う時間。

 

全てが掛け替えのない時間であった。ありがたい時間であった。

 

このように深く感謝できる過去があり、人々があるのは幸せなことだ。

 

尊い友人たちの中には、私が出会ってからこれまでの間にさまざな困難を経験された方も多い。

大切な存在が天に召された方もいらっしゃる。信仰に支えられているとはいえ、お辛いはずである。

私の知る彼らは、それでも歩みを止めることはなかった。辛さを抱えながら、逃げることなく前に進み続けていらっしゃった。

 

私も、そんな方々と一緒に学んだのであるから、そう交わることを許していただいていたのだから、頑張らないわけにはいかないだろう。

書きながらそんな気持ちがじわじわと湧いてきている。

 

私に力を与えてくださるのは、やはりそういう人たちの存在であるのだろう。

こう書いている今、ちょうどコラールが流れてきた。涙が出てくる。

 

どうか、尊い友人たちが、健やかで危険がないように。心やすらかに幸せでありますように。