美しい魂に触れたあとの風景

 少し前、ご縁があって一人の青年と知り合った。

 本当に「たまたま」出会ったのだが、この出会いは私にとって非常に重要な意味を持って現れているように感じられる。

 彼はいつも、真正面から「愛」を語る。真正直に、愛を告白するのである。「はれたほれた」という類の愛ではなく、実存的友愛である。

 
 
 
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A post shared by Terry (@teruhiko007)

 青年は過去に様々な困難を経験し、未だにそれらと闘っていることを話してくれた。彼は“いろんな”経験を受け止めながら、ある時は噛み締めながら、またある時はたじろぎながら、それでも今日を生きているのである。

 彼は音楽によって世界に投企している。その根底には、これまで彼を救ってくれた他者との奇跡的な出会いへの心からの感謝があり、彼らへの恩と愛の表現としての音楽を追究したいという願いの声によって世界を振動させているのである。

 ライブの語りで「“あなた”が好きだ」と彼は言う。“あなたたち”ではなく“あなた”なのだ、と。彼の「愛」は聴衆一般に向けられたものではなく、彼の歌を聞いている実存としての他者に開かれている。

 そこにはリップサービスの類は一切感じられない。真正直に言葉を紡いでいる。そこに紡がれる言葉は、飾られることもなく、言葉の行く先を占うこともなく、ただ真っ直ぐに放たれるのである。

 私は彼の語りを聞く度に動かされる。自分自身が固定しなくなる。内側から何かしらの動きが現れようとするのを感じる。ある時は自分自身の言葉が恥ずかしくなり、話したり書いたりするのが嫌になる。またある時は無性に対話をしたくなる。そしてまたある時は、生きとし生けるものに対して慈しみの心が湧いてくる。

 彼は私よりも若いけれども、凄みを感じる。彼の歌は、テクニックを上手に使いこなせて上手い、というより、存在の背後からじわじわと染み出してくるような、何かそういう凄みがある。

 他者を純粋に想い、感謝し、愛し、大事にすることができる青年。その至純さに心を打たれるほどには、私は何かを失いつつ大人になってきたのかもしれない。

 ご縁に感謝。合掌。