純生食パンを手に入れるまで:ハレパン

 秋になりました。ニュースをお伝えします。

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秋である #すすき #秋空

 10月10日、柳川に生食パンのお店がオープンした。ただの生食パンではない。生食パンである。道沿いに看板が出ているのをオープン前に見つけて、「むふふ、これは食べてやろう」と思っていた。

 柳川人はこういったものが好きだ。「わさもんずき」なのである。何か新しい店がオープンするとなると、ワーッと集まり、そしてスーッと引いてゆく。それが柳川人である、と私は思っている。

 早速私は母に教えてやろうと思い、したり顔でそのことを告げたが、彼女はすでに知っていた。さすがである。「おやぶん」と我が家で言われているだけのことはある。おやぶんはなんでもご存知であった。

 我々は、当日誰が買いに行くかと言うことについて話し合った。並ぶことが嫌いな私だが、自分の関心がある場合は別である。律儀に並ぶ。その実績は確かなもので、数回並んだ定番コレクションでは、打率十割を叩き出している。

 私たちは朝早くから並ぶものだろうと思っていたのであるが、なんとネット予約でしか対応していなかったそうである。前日まで私はそれを知らなかったのだが、おやぶんはその点をきちんと押さえていて、予約まで成し遂げていたのである。機械に疎い彼女も、この時ばかりは実力を発揮した様子である。

 しかし、ネット予約に気づいたのが遅く、我々は出遅れてしまった。10日オープンにも関わらず、11日の17時にしか予約が取れなかったのだ。私は悔しかった。なにせずっと前から私は待っていたのだから。

 柳川人を甘く見ていたようだ。これほどのガッツを見せてくるとは予想していなかった。やはり福岡、久留米、柳川の三拠点生活をしている私は柳川人アイデンティティが減衰していたのであろうか。彼らのポテンシャルを見誤っていた。

 悔しい顔をする私に「ほら、証拠」と言わんばかりに母はスマホの画面を見せてきた。今週半ばまで予約でいっぱいである。みんな、そんなに生食パンが珍しいのであろうか。生食パンを売っている店はたくさんあるのに、そんなにパンに飢えているのか。不思議である。かく言う私もその一人であるのだが(昔、天神地下街蕎麦屋の前にたむろする海外からの観光客をみて、「お前たち、そんなに蕎麦が珍しいか」とつぶやいた人のことを思い出す)。

 私たちのパンが手に入る日がやってきた。最近調子が悪い私は昼過ぎに起きたのだが、昼過ぎから午後5時を心待ちにしていたのだ。が、そのお気持ちは母の一言でポキされることになる。母がパンを迎えにいってくれることになっていたのだが、母は食事会が午後6時からあるらしく、母が帰ってくるまで私は純生食パンさまに謁見することがかなわないことが明らかになった。

 「おい、まじか」と思ったが、私に迎えに行くだけのエネルギーは残されていないもので、ここはおとなしく引き下がることにした。何時に帰ってくるのかと母に聞いたら、午後9時くらいには帰ってくるとのことだった。

 母を待つ時間は長かった。書き物をしていても、本を読んでいても、父とステーキを焼いて夕飯を食べていても、頭のなかは純生食パンのことだけである。パンが来る!この期待は、私にお米を食べることを思いとどまらせた。炭水化物の二重摂取はデブのもとに他ならない。そして夕食も済み、食後のコーヒータイムが近づいてきた。

 しかし食後のコーヒーを淹れようにも、一向に母はパンを連れ帰ってはこない。煮詰まったコーヒーではパンに失礼であろうと思い、紅茶にしておくことにした。例のオシャレ紅茶である。

 「ガチャリ」。遠くで鍵が開く音がした。鍵っ子であった小学生時代、この音をどれほど待ち焦がれていたことであろうか。一気に昔の記憶が蘇ってきた。当時の私はパンではなく、母を待っていた。なんと健気な子どもであったことか。

 母は、おもむろに保冷バッグから純生食パンの入った紙袋を取り出すと、静かに台所へと入っていった。そして透明のビニール袋に包まれたパンを抱え戻ってきた。コストコで大量に買ったキッチンペーパーを丁寧に四つ折りにし、パンの袋の内側の水滴を拭き取っている。この作法もパンの親玉から指示されているらしい。なるほど「純」と冠しているだけのことはある。ホスピタリティを要求するパンを私は初めて見た。

 さあ、どうやって食べようか。二斤分あるので、まずは四等分にして、うち1つを手でちぎって食べようではないかということになった。この「手でちぎる」という作法も親玉からの指示らしい。

 一連の礼をかの食パンに対して尽くした後、我々はようやくその味にありつける運びとなった。指先に触れる純白の生地は心地よく、この世のものとは思えないほどしっとりとしていた。そしてパンのミミはどこかしらと探しても見つからないほど柔らかく、お味も優しくずっとちぎり続けることができると思わせるものであった。

 ・・・二人掛かりである。すぐにちぎる分は終了した。そして次の山に取り掛かった。私は米粒を食べなかったが、母は食事会のあとである。それなのに私と同じくらいパンを食べている。一言物申したかったが、彼女が連れてきたのでやり損なえば御預けを食うことになりかねない。私は我慢した。そのうち、父もちぎる儀式に加わり、あっという間に一斤が消えていった。

 そう、以前から思っていたのだが、我が家のB型血液を体内で循環させて過ごしている人々(通称チームB)は、「味わう」ということを知らないらしい。パクパク、パクパクと食べるのである。しかもその一口が大きい。そしてすぐにおかわりに立つ。遠慮もない。一方、我々チームAは、それはもう恭しく食べる。父の参加を内心ややいぶかしく思いながら、お客様に失礼があってはならないと思い、おもてなしの心でいただいた。

 一夜明けた今日、まだ戸棚の中には一斤分ある。やはり母が帰ってくるのを待って、どう取り扱うべきかを協議する必要があるであろう。まあ、パンは正直もうどうでもいい。母が元気でいてくれれば、それでよいのである。そう、この一言を言えばいいのであるがなんとなく照れくさく、長々と書いてしまった。かわいい息子である。

 長いまくらとなった純生食パン様も美味しかったので、興味を持たれたソコのアナタ、ぜひお宅に迎え入れられることをオススメします。参考までにリンクはこちら↓

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 皆様がいつまでもお幸せでありますように。