恋ぼたる 樟の香りコンサートのお知らせ

 こんばんは。みなさん、初詣はどちらにいらっしゃいましたか?私は祖父母を連れて柳川の神社をまわってきました。写真は日吉神社のお福さん。立派です。

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 さて、毎年恒例の樟の香りコンサートが明日に控えておりますが、わたくし体調を崩してしまいました。明日が今年はじめの舞台であるというのに・・・。そういえば「肝心なときに居なくて困る!」と高校時代の恩師に言われたことを思い出します。

   年末から喉と鼻に違和感があったのですが、昨日から本格的な体調不良へと移行しております。祖父と一緒に年を越せたことにホッとしたようです。

 

 ともかく、明日、1月6日(日)は、樟の香りコンサートに出演します。場所は川の駅船小屋恋ぼたる

 13:00-, 14:00-の2回公演を行いますが、私が出演できない場合でも弟が一人で吟じます。みなさまのお越しを心よりお待ち申し上げております。

 明日は冷えるようです。暖かくしてお越しくださいませ。

 

 健やかで、危険がなく、心安らかに、幸せであれかし!

あなたに会えてよかった

 こんにちは。小さい頃から、新しい年になったら何かが変わるような気がします。誕生日が来ても、大きく変わるような気がするんですよね。生きている中で巡ってくる、節目節目で、変化を期待しているようです。

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 まあ、2018年から2019年になるとか、平成30年から平成31年になるとか、そんな変化はあるわけですが、実際には大晦日の続きを元日にやるわけで、昨日から今日になることには何ら変わりがありません。でも、新年とか誕生日とかを迎えますと、何となく違う気持ちになります。

 無常の世界観からすると、確かにどうでもよいことではあるのですが、お正月は特別な心で過ごしたいものであるなあと思います。

 

 このような特別な日には、心の晴れやかさは欠かせません。そこで、旧年中の善き出来事をここに書いておきたいと思います。

 これは年末のことでした。私の敬愛する方のところへご挨拶に伺った時のことです。「本田さんにお会いして、よかったと思ってます」このようなお言葉をいただきました。とても嬉しかったです。。。けれど、この喜ぶべき出来事を、すべての心身をもって味わえなかったのです。どうしてでしょうね。色々考えてみたのですが、よくわりません。もしかすると、自我いじめの傾向性がそこにあるのかもしれないです。

 でも、改めて、そのお言葉を心に起こして、じっくりと観察してみますと、身体がポカポカしていて、それから緩んでゆく感覚に出会います。

 ああ、私、喜んでるんだ・・・。そう感じることができました。どうやら多くの場合、私は頭で喜ぼうとしているようです笑。アホですねぇ〜笑。でもいいんです。それも全部ひっくるめて、「大丈夫」。

 

 「本田さんにお会いして、よかったと思ってます」(嬉しいので2回目)・・・私もです。こんな風に言っていただけるなんて、嬉しいじゃありませんか。幸せですね。この幸せを感じている私の心が、今年はじわじわ〜っと広がっていけばいいなと思います。

 

 健やかで、危険がなく、心安らかに、幸せであれかし!

明けましておめでとうございます

 新年明けましておめでとうございます。平成最後のお正月を迎えました。

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 おかげさまで、家族みんな元気に新年の挨拶をすることができました。これが何よりも嬉しいです。世界に一つだけの家族、私の人生でたった一つだけの家族。ずっとこの幸せが続きますように。

 もちろん、このブログを読んでくださる皆さんも、同じようにお幸せでありますように。皆さんのご家族、皆さんに関わる人々、生きとし生けるものたちが、健やかで幸せでありますように。

 

 さて、本田兄弟 平成31年はじめの舞台は、毎年恒例の「樟の香りコンサート@川の駅船小屋恋ぼたる」です。1月6日(日)、13:00-, 14:30-の2ステージ(無料)。1ステージはおおよそ30分程度を予定しております。

 お正月にふさわしく、おめでたい詩を準備して、皆様のお越しを心よりお待ち申し上げております。屋外での公演となりますので、どうぞ暖かくしてお越しくださいませ。

 

 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 2019年も、健やかで、危険がなく、心安らかに、幸せであれかし!

 

   本田陽彦・恭裕 拝 

自我いじめ

 おはようございます。

 今年も残すところ1日となりました。この一年、いかがでしたか?

 

 私はどうだったのだろう・・・何となく、私はあまり成長していないように感じました。しかし、ゆっくりと、淨かに一つ一つの出来事を振り返れば、コツコツと成長していたことがわかります。どれも小さく感じられてしまうことばかりのように思えますが、それらは全て、着実な成長と言ってよいことです。

 

 どうして、「成長していない気がする」と感じたのでしょう。

 

 私の敬愛する方の言葉に「他人からエゴイストだと思われるくらいに、自分を大切にしなさい」というものがあります。これは、ただ我儘に生きなさいという意味ではありません。

 私(たち)は時に、無自覚に自分を責めて、批判して、いじめて、傷つけてしまっていることがあります。初めはあるきかっけで起こる一回的な出来事であっても、それが再び起こり、また再び起こり・・・と習慣化してしまうことはよくあることです。

 そうすると、「私」という自我はいつも疲れてしまいます。緊張して、硬くなって、トゲトゲしてしまう。私の経験ですが、日常の、本当に些細なこと--ベッドから起き上がるような ごくありふれたこと--を行う時でさえも、自分を責めていることがあるのです。その批判的な心はとても微細で、注意していなければ気づくことはないかもしれません。しかし、よく注意して観察してみると、あらゆる瞬間において、自分をいじめていることに気づきます。

 私はこれを「自我いじめ」と言っていますが、この自我いじめに気づくとき、先の言葉の重大さを痛感するのです。この時にも、もれなく自我いじめが起こっているのですけれど・・・。

「他人からエゴイストだと思われるくらいに、自分を大切にしなさい」

 

 冒頭に書いた「成長していない」と感じた答えは、まさに自我いじめの傾向性にあるのでしょう。この問題は私のブログに度々登場するところのものであるのですが、2018年を終えるにあたって、しっかりと省察しておきたいと思います。

 

 ある人は、「自分に厳しいことは尊いことである」と言います。確かにその通りです。しかし、自分に厳しく、頑張ってきて、どうにもならなくなってしまった人はどうでしょう。頑張れば頑張るほどに、自分が苦しくなってしまう。辛いですよ、これは。

 そこで、注意深く観察してみると、おそらくその観察の中にも当たり前のように「自我いじめ」が生じ続けていることに気づくかもしれません。しかし、それに気づいているとき、「私」がいじめられて傷つくことはありません。

 この時、「もう大丈夫だよ」と言ってあげることができます。そして、あたたかな心の手で優しく撫でてあげるのです。そっと抱きしめてあげるのです。そばにいてあげることができるのです。

 

 私はいつも、「幸せであれかし!」と書いています。これは私の自我いじめの傾向性に対する一種の調教かもしれません。力業ではありますが、こうして少しずつ、自分に優しくなることができれば良いな・・・そう思う大晦日であります。

 

 健やかで、危険がなく、心やすらかに、幸せであれかし!

広がる世界

 おはようございます。寒い日が続いていますが、みなさんお変わりなくお過ごしでしょうか。

 もう師走。今年も残すところ10日ほどになりました。あっという間ですね。昨年末にはカンピロバクターと仲良くしておりましたが、今年はおかげさまで元気に過ごすことができております笑。

  先日、寒い寒いと言いながらカフェに入り、ケーキセットを注文したのですが、横文字のスイーツが新商品だと勧められ、「じゃあ、それくださいっ!」とお願いして受け取りに行ったら、何とアイスクリームが乗っかっており愕然としたワタクシでありました・・・。

https://www.instagram.com/p/BrUR6J8juLl/

トラなんとか・・・というスイーツセットを頼んだら、なんと冷たい食べ物だった。ダウンを着てこれ食べてる。#笑顔が素敵です。 #スプーンどうにかならんのかな。

 さてさて、最近、また世界が広がりつつあります。

 これまでは、好きな人とだけ付き合っていればよいか〜という世界であった気がするのです。ですから、これはこれで安定していました。でも、安定していると同時に、もっと世界が広がっていったらいいな・・・という、寂しさと隣り合ったような感覚もありました。「なんか、つながりたいっ!」みたいな。

 そんな私でしたが、今年の後半から環境が変わったこともあり、どんどん世界が広がってゆくようになりました。その拡大具合に圧倒されております笑。世界が広がることは、私が広がることでもあるし、私の中に世界が入ってくることでもあります。私の中に入ってくるものは、他者であり、思想であり、文化であり・・・。たくさんのものが流れ込んできます。その中には、これまでの私という世界にはなかった、もしかすると反対の性質を帯びているかもしれないものも含まれます。

 そんな状況を眺めながら、「ああ、これ、どこまで私の世界に入れちゃっていいのかな」「大丈夫かなこれ、散らかっちゃわないかな・・・」「いや、心の安寧は大丈夫か?」とチマチマ抵抗している私も一緒に眺めています笑。

 まあ、何とかなるのでしょう。抵抗してもいいんです。ジタバタしても、なるようになります笑。

 

 あ、そういえば、これまで忌々しい象徴であった物事が、徐々に変化してきています。忌々しさはとどめていますが、それを活用する仕方が偶然見つかったという感じです。たぶん、世界が広がった功徳?かな。(どうでもいいですが、世界が広がったついでに博多のクリスマスマーケットに行ってきました!←どうでもいいと言いながら強調している笑)

 

 それでは、お寒いですので、くれぐれもご自愛くださいますように。

 健やかで、危険がなく、心安らかに、幸せであれかし!

平成30年度 西日本吟詠吟士権大会

 こんにちは。ここ数日、わりと暖かい気候が続いています。

 みなさんお元気ですか?私は最近、身体がダル重〜です。朝が辛くなる季節であるということもあり…うむむむむ(ちかごろ情動言語が多発している気がする)。

 

 さて、今日は先月に行われました西日本吟詠吟士権大会について書いてみます。そういえば、吟詠についての記事をあまり書いていませんね。7月に祖父と出演した夏祭りの思い出なんかも書いていませんし、9月の決勝大会の記事も書いておりません笑。忙しくて…ま、おいおい書いてゆきます(たぶん)。

 

 さてさて、この西日本新聞社主催の吟詠コンクールは、吟詠家なら誰でも参加できるものであります。予選、決戦大会があり、そこで吟士権を獲得した吟詠家が、この吟士権大会に集います。歴代の吟士権者との競吟を経て、その年に一人の最優秀吟士権者が選出されるのです。昨年の決戦大会は下の記事からどうぞ。

teruteru007.hatenablog.com

 この記事の後に行われた昨年の吟士権大会において、 有難いことに最優秀吟士権の称号を頂戴しました。全くもって思いがけない出来事であり、カメラもなにも持ってきておりませんでしたので記録がありません(とても残念!そして翌日から私は高野山に旅立ち、そこの居酒屋さんで食べた鳥刺しでアタったのは今となっては よきおもひで。皆様、鳥は絶対加熱した方がいいです…酒飲んでるから大丈夫!は嘘!)。

 

 さて、そんな出来事からちょうど一年が経ちまして、今年も吟士権大会がやってまいりました。私は昨年いただいた大きな盾の返還式と招待吟のために出演いたしました。招待吟には私を含めて6名の吟詠家が出演しましたが、彼らは吟道と人生における大先輩であり、高名な先生方であります。それを思いますと、背筋が自ずから伸びてゆくようでありました。

 記念写真をパシャり。お花つけるとなんだかホンモノみたいじゃないですか?笑

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大濠公園能楽堂にて

  おそらく、(オープンなものでは)今年最後の舞台であろうこの大会で、私は一年間稽古をしてきた折楊柳を吟じました。これは9月の決勝大会でも吟じた詩であります。

 おかげさまで、今回は吟道における私の流儀*1とするところの、観照的実践(Contemplative Practice)としての吟詠が理想とする形で立ち現れてくるといってよいような舞台へと展開したように感じます。

 

 11年ぶりに師匠からお褒めの言葉をいただきました。とても嬉しかったです。でも少し恥ずかしいような。師匠は家族に続いて私を長く慈しんでくださっている方です。数年前には大手術も経験なさいましたが、今でも変わらずご闊達で、私どもを教え戒め正しく導いてくださいます。世間ではいろいろありますけれども、もう一度、吟における世俗的な有意味の方に向かって頑張ってみてもよいかな、と思った日でありました。

 

 それでは、最後にお知らせを。昨年の吟士権大会において、取材をしてくださった宮原さん主催の狸ばやしさんにて来年1月に開催される「よね吉 そうば二人会-上方落語-」に、我々本田兄弟も出演いたします。1月20日の日曜日。(近づいたら、またアナウンスしますね)

 落語の世界と吟詠の世界。(吟詠に比べて)身体を動的に用いる落語。(一見すると)静的な身体において、心の営みのダイナミズムが現れる吟詠。道具と所作、節。これら非言語的要素がどのように機能しているのか、舞台をどう支えているのか。私も楽しみにしています。

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 それでは、今週も元気に過ごすことができますように。

 健やかで、危険がなく、心安らかに、幸せであれかし!

*1:ここでいう流儀とは、「私」が「詩」を解釈したり、表現したり、という「はからい」を為すのではない。もちろんそれらを稽古の段階では十分に用心しているのはいうまでもないが、舞台ではそれらを手放して、流体エネルギーが振動エネルギーに変換されるまさにその場所を中心に心を配る。あとは、微細な気づきをもって、生じてくる音と調音点への意識で、動的な展開を見守る。いわば「私」を引っ込めて、詩の作者の心の営みが現れる場となる、あるいは成り切ることである。

おはようございます

 おはようございます。更新がまたまた空いてしまいました。(…毎回これを書いている気がする)

 今日は久しぶりに悪夢にうなされて目が覚めました。夢のなかで、最後「うわあああああああああああああああ」と叫んでいました。それからガバッと起き上がって目がさめるというドラマのワンシーンのような朝。笑。

 「もう一寝入りして、いい夢みよ〜っ」という具合にもいかず…というよりも、また夢を見たらどうしようと怖くて怖くて起きずにはいられない(汗)。

 顔を洗って暗い顔しているのを鏡で確認して、お湯を沸かしてすすりながら、何か音を鳴らそうと「雨上がりの朝」なる鳥のさえずりの音をAmazonmusicで見つけて流しながら、このブログを書きながら、「あ、ラベンダー!」と思い出してオイルをつけながらクンクンしております(←イマココ)。

 

 ・・・ふぅ・・・

 少し、落ち着きました。やっぱり、疲れているんですかねぇ。。。寝起きからこれでは、1日、どうなることやらであります。あ、そういえば、このまえラベンダーをつけていたら「漢方みたいな匂いしますね!」と元気な笑顔で言われたのだった。ラベンダーなんですけどね。

 「ラベンダーですよ」といったら、「ベルガモットがいいですよ〜」と言われました。「でもベルガモットって、直接つけられないでしょ。めんどくさいのよ」って私は言いました。・・・あれ、このセリフ、どなたかがおっしゃっていたような気がする。

 あ〜〜〜〜今日は1日芋虫な気がする。

 

 健やかで、危険がなく、心安らかに(私も!)幸せであれかし!