久しぶりのコンクール

 こんばんは。最近忙しい日々が続いています。吟詠に関する活動も今月は多く、週末までフル回転であります。

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 昨日は吟詠コンクールの福岡地区予選大会がありました。以前ですと、青年の部はプログラムの一番最後に設定されていましたので、身体もほぐれてきたところで声をだすことができました。しかし、昨年あたりから、幼年、少年に続いて、朝からの出番となっております。

 起きてから時間があまり経っていませんので、身体も半分寝ています。そのため、喉も柔軟さを取り戻していませんから、伸びのある声は出にくいのです。

 昨日は起きるやいなや、弟と一緒にジョギングをしました。弟曰く、「こんな時間帯に走ったのは初めて」ということですが、夜明けから大きな男二人で田舎道を走ったのち、会場へ向かいました。

 ジョギングは数日前から始めたばかりですが、なかなか爽快です。身体を動的に使うことでひらけるいろんな感覚があることに気づきます。心煩わせることなく、周りの風景と一体になったような、ある種の集中が生まれます。

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 さて、話をコンクールに戻しますが、正直なところ今回は稽古不足を痛感いたしました。実は吟道の稽古学について先日話をしたばかりででして、「素読百遍」の意義を身体論から捉え直したり、舞台上の意識についてマインドフルネスや無心の議論と対話させたりしたのですが・・・汗。

 これらの考究については、現段階でとりあえず納得している内容なのですが、それは最低限の稽古を積んでからの話。稽古不足の状態では成立しない。身を以て実証されました。でも良かったのは、十分な稽古をしていない場合、稽古論は理解されない可能性が極めて高いということに気づいたことです。それどころか、稽古が未熟な段階で稽古学に則った舞台を行おうとすると大失敗につながる可能性が大いにある。これらのことに気がついたことは大きな収穫でした。

 これまで吟詠の稽古学については何も書いていないので、まとまった時間が取れる時に書きたいと思います。

 そうそう。もう一点面白いことがありました。それは自己評価と他者からの評価のギャプです。私としては反省点であると自覚した点について、他者はとても良い評価を下している。詳細に話をしたわけではないので検討するだけの材料が揃っていませんが、意外とこういうことってあるのかもしれませんね。

 弟は一ヶ月の研修を泊まり込みで受けていたため、ほとんど稽古できていませんが、その割にはよく吟じていたと感じました。やはり内面的自覚に伴う精神の変容が影響しているのではないかと。

 それでは、県大会に向けて精進いたします。

 

 健やかで、危険がなく、心安らかに、幸せであれかし!