狸ばやしさんでの舞台を終えて

 こんにちは。前回の記事(下)で心配していた舞台、狸ばやしさんでの公演が無事に終わりました。

 

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  結果から申しますと、私の不安は杞憂に終わりました。今回、私たちは多くのことを学ばせていただいたのですが、それは全てみなさまのおかげさまです。心より感謝申し上げます。

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桂よね吉・そうば師匠と

 これまで私は、自身の芸道の内面性により多く心を向けてきたように思います。それは修道として欠かせないことであります。

 しかし、内面性の研鑽・探究と同じくらい、舞台における他者性も重要であることを改めて学びました。実感を伴った形の学びという意味では初めてなのかもしれません。

 舞台というのは、演者と観客との間に成立する出来事である。これは当然のことではありますが、本当にそうなのですよね。

 

 それに加えて、舞台を設定する人、今回はお席亭である狸ばやしの宮原さんの存在が大きかったです。宮原さんとは、一昨年の西日本吟詠吟士権大会で取材をしていただいた事がご縁でお付き合いをさせていただくようになりました。

 インタビューに際して、私が吟詠に対して考えている事、自分の修行のこと、研究のこと、生い立ち・・・諸々のことを丁寧に聞き出してくださり、お話しをする事が出来ました。プロでいらっしゃいますので当り前でしょうが、安心して話すことのできる雰囲気があり、そのような場を自然と展開されるご様子を対面で拝見しました。その頃、ちょうどセラピーの参与観察やヒアリングをしていた私にとって、大変勉強になったことを覚えています。

 

 そんな宮原さんが私達兄弟をご自身の寄席に呼んでくださったのが今回の舞台であったわけですが、私たちの公演前に、お席亭自ら紹介をしてくださいました。私たちは噺家のお二人の前に舞台に立たせていただいたのですが、「若い兄弟が一生懸命に取り組んでいる」「詩吟には難しい言葉も出てくるが、そのままに聴いていただくだけで十分」とお客様に伝えてくださったのです。そのお声の思いやりに満ちているのを感じ、とても嬉しかったです。自分の信頼を寄せる方から、このように紹介していただくのを耳にするだけで、なんだか力が湧いてきます。

 そして、私たちが舞台に立ちますと、お客様の様子もあたたかで、受け容れてくださっているように感じられ、おかげさまで、安心して吟ずる事が出来ました。

 舞台に限らず、物事に臨む時に、自分の中心が安定していることはとても大切です。

 演者が安心して芸を展開できる場を設定する。舞台における他者性。しっかりと学ばせていただきました。

 私は思うのです。もし観客を前にして安心を感じる事が出来なかったら、どうであっただろうか、と。それでも、おそらく、私は同様の学びをうる事ができたであろうと思います。しかし、その場合は挫折感、あるいは一時的な負の感情を伴うものであったでしょう。それはそれで、良い学びであることには変わりないのです。

 でも今回は、喜び、感謝、安心・・・とてもよい気持ちで舞台を終える事が出来ました。同じ学びを得つつ、私たちに気持ちよく舞台を後にしてもらう。そんなお席亭の優しいお心を感じたのでした。もっとも、落語を聴きに来るお客様に心ないお人はいらっしゃらないのかもしれませんけれども。。。

 

 また、落語家のお二方、桂よね吉・そうば師匠の高座を拝見し、言葉にならない「より以上のこと」を感じる事ができました。昨日はそれを観察し、一晩寝かせてみたのですが、言葉にしてしまうと感じた事が覆われてしまう気がするので、今は書かないでおこうかと思います。

 そして、それを私以上に感じたのはおそらく弟です。楽屋に戻って泣いておりました。その様子を見て、「ああ、色々あっても恭裕は大丈夫だな」と直感しましたし、同時に嬉しくなりました。インドネシアに行ってしまう前に、この機会をいただけて有り難かったです。ありがとうございました。

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 最後に、着物姿の師匠方との写真を一枚。別のカメラを見てますが笑。

 

 健やかで、危険がなく、心安らかに、幸せであれかし!