心の傷の昇華

先日怒りの変容について書きました。

怒りのできごとは、心に傷をつけます。私の場合、結構な深さがありました。

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実は夢の中で、さらに新展開がありました。それをみて、私は怒りと傷が昇華してゆく過程の最終局面にあるのではないか?と思ったのです。

 

昇華といっても、それはいつもきれいな形にまとまるわけではありませんが、今回はいい感じに解決しそうです。考えてみれば随分と長い間、この傷を抱えたまま生きていました。

 

夢の中で私は、最悪のケースを経験したのです。私自身が悪者であるということを知らされるというもの。夢の中でこの事実を突きつけられたとき、もう死んだほうがマシだと本気で思いました。そして目が覚めた後も、動揺が続いていました。

 

夢が覚め、この現実世界で今日の始まりと共に呼吸をしながら、動揺する身体を見つめます。

息を長く吐きつつ、さっきまでのできごとが夢であったことを自覚します。

でも、あまりのリアルさに、これは本当のことなのではないか?という疑いの心も出てくる。

身体を起こして、一歩一歩あるいてみながら、心と身体に寄り添うことを通して、「ああ、やっぱり夢だった」と納得しました。笑

 

そこで、生じてくる様々な思いに気がつきました。

「夢のようではなくてよかった」

「傷つけるよりも、傷つけられたほうがいいな」

「夢に比べればずっとマシじゃん」・・・

 

一連の思いを眺めながらお水を飲んで、怒りや不安や憎しみが思いがけなく手放されたことで生じたホッとした安らかさを感じながら、「私は、安らかで幸せでありますように・・・」と念じました。

 

しばらくして考えました。

傷つけるよりも、傷つけられたほうがいい・・・これって本当にそうなのかな。

悪意を持って傷つけるより、傷つけられるほうが、まだその後の自分を大事にできる、といったほうが適切かもしれません。

 

誰かを傷つけてやろうと思って、怒りの心で、利己心から行動すると、その結果に一時的には満足するかもしれない。でも、まともな状態に戻ったとき、私は自分を大切にできなくなる。それはつらいことです。

 

今年になって「怒ることや、人を嫌いになることなんてないでしょう?」と三人の方から聞かれました。

いえいえ笑、めちゃ腹が立つときありますし、何かあったらめちゃ嫌いになりますよ。そりゃ。

でも怒りのピークが過ぎ去るまで、何もしないように心がけてはいます。そして、怒りを認めて駆け寄って、あげるようにしています。まあ、たまに間に合わないときもありますけどね。。。

 

今週も健やかで危険がないように念じています。