寂しさの中の大人感

 おはようございます。

 今朝は少しひんやりとした感じで、カーディガンを羽織っております(昼から暑くなって脱ぐんだろうな)。

 

 昨日、知人と秋の寂寥感についての話になりました。数年前までは寂寥、感じていました。でも今年はまだ感じておりません。なんでかな。

 寂寥の中に大人感をみる、と知人は言ったのですが、これなんとなくわかるんです。なんと申しましょうか、成長において、独りになると不安になるステージがあると思うのですが、徐々に独りでいることの寂しさを自分で受け止めてゆくことができるようになってゆきます。その過程で獲得した強さが、大人感として感じられるのではないかしら・・・と思うのです。もちろんそれは周りの大人たちをみて、感じて、次のステージに進んで行くわけですが。

 

 そんなことを思う秋の夜長であります。

 

 今日も良い1日でありますように。

大人の秋

 おはようございます。

 

 秋も深まってまいりました。この時期になりますと、背筋がすーっと伸びてゆく気がするのは私だけでしょうか。

 

 小さい頃から、この時期に感じる淨らかさが好きで、何となく大人な季節だわ〜と思っておりました。大きくなった今でも、それは変わっておりません。

 

 秋のトワイライトなころ、大切な誰かと二人でベンチに腰掛けて、深煎りのコーヒーが入ったマグカップから伝わる、少し鋭さをもった温かさを感じながら、奥に吸い込まれてゆくような夜の広がりを眺めている・・・なんて光景に想いを馳せたものです。

 ロマンチックですねえ。・・・・よきかな。

 

 しかし、私は気がつきました。この秋の雰囲気は都会ではあまり感じられないのです。福岡ではこの感じ、ないんですよね。3号線を駆け抜ける暴走族諸君とパトカー、物干し竿で突き落としたくなる距離をゆく飛行機。いつも賑やかな街の明かり。

 

 私は思いました。私の好きなロマンチックな秋は、田舎特有のものかもしれない・・・!と。

 

 私は柳川と八女で思春期を過ごしました。そしてこの秋、戻ってみますと・・・感じられたのです!ロマンチックな秋が、吸う息と共に胸のあたりを満たしてゆくことを!

 

 この記事を書きながらいい気分になっているのですが、ちとキモいかなと思う自分もおります。汗・・・そうしているうちに淹れたてだったはずのコーヒーがぬるくなってきましたので、今日はこのあたりで。

 

 健やかで、危険がなく、心安らかに、幸せであれかし!

元気にしてる?

 みなさん、こんにちは。本田陽彦です。

  すっかり間が空いてしまいました。外はすっかり秋の風(写真は玄界灘の風なので、どっこい、イメージが違いますが笑)。

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 更新していない間も、このブログを訪れてくださる方がいらっしゃる事態に驚いております!ありがとうございます。

 最近は、超忙しく、なかなかゆったりとできないのです。心のゆとり、大事ですね・・・。

 そうは言いましても、こなすべき諸々のことがらが全て終わってしまわないと、くつろぐことができない、と考えるのは、ちと違うだろうと私は思うわけです。・・・とは言いましても(笑)、やることリストが山のように溜まっているのを見てしまうと、なかなかそうはいきません。

 しかし、人生はいつ終わるかわかりません。このブログを書いている途中に死んでしまうかもしれない。それが事実であるからこそ、私はこの瞬間に、くつろいで、完全に存在していたいと思うのです。

 今行いつつあることを正しく意識することなく、思いの中のやるべきことに押しつぶされ、流されるのではなくして、今行いつつあることに心を込める。そこに安らぎとくつろぎが生じてくるのではなかろうか、と斯様に思うのであります。

 人生は意外と短い。もしかしたら、長いかもしれないけど。長かったら、長かったで、そのときそれを喜ぼうじゃないの。

 

 そうそう、私、今年は元気なんだそうです。自覚はないのですが、「今年は本田さん元気ですね」と敬愛する先輩がおっしゃいましたので、おそらくそうなんだろうなと思います。

 今週もお元気にお過ごし下さい。私の元気、枯渇しない程度にお分けします笑。

 

 健やかで、危険がなく、心安らかに、幸せであれかし!

吟詠コンクール九州大会

 こんにちは。今年の夏は暑いですね。これまでと違います・・・。煮えてしまいそうです。

 

 今日はご報告を一つ。

 先月熊本で行われた吟詠コンクールの九州大会に行ってきました。f:id:teruteru007:20180808124813j:plain この日も暑かったですが、弟と二人入賞することができ、9月に行われる全国大会@東京へ進むことができるようになりました。

 6月に倒れた祖父にも良い報告ができ、大変喜んでくれました。「今度はじいちゃんも、東京にいきたかね」と言ってくれています。「そうやね、早よ元気にならやんね」と言うとニコニコしてくれました。

 祖父は何十年もカラオケを教えていて、音楽が大好きです。そんな祖父と共通の趣味・修習があるおかげで、言葉を超えたつながりを感じることができます。

 つながり・・・世界、他者とのつながりについて、最近の私は考えていましたが、自然とその感覚を教えてもらいました。じいちゃんありがとね。

元気にならやんたい。

 

 次回は祖父との久しぶりのステージについて報告します!

 

 健やかで危険がなく、心安らかに幸せであれかし!

 

ただ、そこにいるために

 ここのところ忙しく、更新が空いてしまいました。台風も過ぎ、今日は今年初めての蝉の声をききました。空模様も夏へ向かっています。

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 最近強く思うのです。人生の危機、それは自分の内に起こることであれ、他者という自己の外に起こることであれ、危機に正面から向き合い、それを受け容れようとする人が周りにいてくれれば、私がそこに感じる苦しみは軽くなるのだ、と。もちろん、危機に挑む共同体の関係や質は問題ですが、苦しみを生みかねない状況が生起しているまさにそのときに、「私」の周りに誰かがいてくれて、共にそれを受け容れようとしている事実に救われるのです。

 危機というものによって、人間は成長することができる。でも私は避けることのできる危機なら避けたい。しかし、人生に属する、避けられない危機はやっぱりある。それが姿を現したとき、私はとても注意深くある必要があります。そうでなければ、自我を傷つけてしまい、病的になってしまう。

 苦しみを生んでもおかしくない、そんな一大事を、よき縁にしていくために、それと仲良くなるために、私は注意深く、丁寧に、優しく、寛大に、赤ちゃんをあやすように、小さな子供に教えるように、まず、自分自身をケアの視点をもっていたわってあげなければなりません。

 特に、他者の危機を目の前にしているとき、これはとても大切。自分の心の中心がよく安定して整っているとき、私は相手に寄り添う準備が初めてできていると気づきます。そして、逃げることなく、慄くことなく、私というかけがえのない存在として、そこにいることができます。そこにしっかりといることが、目の前に繰り広げられる状況が要求する、私の全き責任であると思います。

 私は人嫌いですが、生きているので世界と他者に出会わなければならない。生きているので、他者と世界に助けてもらわなければならない。そんなことを強く感じながら、慈しみの心を育てておくことの大切さを痛感します。

 

 健やかで幸せであれかし!

心の傷の昇華

先日怒りの変容について書きました。

怒りのできごとは、心に傷をつけます。私の場合、結構な深さがありました。

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実は夢の中で、さらに新展開がありました。それをみて、私は怒りと傷が昇華してゆく過程の最終局面にあるのではないか?と思ったのです。

 

昇華といっても、それはいつもきれいな形にまとまるわけではありませんが、今回はいい感じに解決しそうです。考えてみれば随分と長い間、この傷を抱えたまま生きていました。

 

夢の中で私は、最悪のケースを経験したのです。私自身が悪者であるということを知らされるというもの。夢の中でこの事実を突きつけられたとき、もう死んだほうがマシだと本気で思いました。そして目が覚めた後も、動揺が続いていました。

 

夢が覚め、この現実世界で今日の始まりと共に呼吸をしながら、動揺する身体を見つめます。

息を長く吐きつつ、さっきまでのできごとが夢であったことを自覚します。

でも、あまりのリアルさに、これは本当のことなのではないか?という疑いの心も出てくる。

身体を起こして、一歩一歩あるいてみながら、心と身体に寄り添うことを通して、「ああ、やっぱり夢だった」と納得しました。笑

 

そこで、生じてくる様々な思いに気がつきました。

「夢のようではなくてよかった」

「傷つけるよりも、傷つけられたほうがいいな」

「夢に比べればずっとマシじゃん」・・・

 

一連の思いを眺めながらお水を飲んで、怒りや不安や憎しみが思いがけなく手放されたことで生じたホッとした安らかさを感じながら、「私は、安らかで幸せでありますように・・・」と念じました。

 

しばらくして考えました。

傷つけるよりも、傷つけられたほうがいい・・・これって本当にそうなのかな。

悪意を持って傷つけるより、傷つけられるほうが、まだその後の自分を大事にできる、といったほうが適切かもしれません。

 

誰かを傷つけてやろうと思って、怒りの心で、利己心から行動すると、その結果に一時的には満足するかもしれない。でも、まともな状態に戻ったとき、私は自分を大切にできなくなる。それはつらいことです。

 

今年になって「怒ることや、人を嫌いになることなんてないでしょう?」と三人の方から聞かれました。

いえいえ笑、めちゃ腹が立つときありますし、何かあったらめちゃ嫌いになりますよ。そりゃ。

でも怒りのピークが過ぎ去るまで、何もしないように心がけてはいます。そして、怒りを認めて駆け寄って、あげるようにしています。まあ、たまに間に合わないときもありますけどね。。。

 

今週も健やかで危険がないように念じています。

 

手渡される繋がりと不安、彼方より来たる繋がりと安心

人間は変化を恐れる生き物です。

これ、私のことです。

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新しい他者との繋がりを構築することに対しては特にそうですね。精神的な親密性が前提とされる繋がりには、多少なりとも腹を割って他者との関わる必要があるので、うっ...リスキーだな...と思ってしまいます。もちろんこれはマインドがそう言ってるわけでありますが。

 

新しい繋がりに出会うとき、私はしばしば腰が引けてしまいます。それが外側からもたらされた場合は特に、ビビってしまうんです。

自分が相手に受け入れられなかったらどうしようかと考える。自分はマジョリティとは言えそうにないことを自覚しているので。世流に逆らうことは腑に落ちませんもの。。。

 

そんなわけで、一つの新しい関係を築きそびれたかもしれません。汗

 

しかし時には、私が想像もしていない形で、運命的と言えるような繋がりがもたらされることがあります。運命は結構強引(笑)。

そこには腰が引けてーなんて言ってる暇もない。あれよあれよという間に繋がってる笑

 

不思議です。ご縁ですね、というやつそのものですよ。

 

ずっと前から知っていたような気がするし、腹を割ってーというより先に、ハラワタが出てしまっているので。笑

 

去年から、そんなご縁をたくさんいただいています。有り難いです。お一人お一人のお顔を思い出すと、ゆるみます。みなさん微笑みかけてくれます(私は全力で手を振ってますよ〜)。

 

ありがとう。みなさんのおかげです。

 

健やかで危険がなく、心安らかで幸せであれかし!