明日をめがけて眠ろう

自分自身の苦しみに出会い

人々の苦しみに出会い

それが自分の苦しみのようになるとき

生きていく力がなくなりそうになる

 

そんなとき大切な存在と深い心の水位で交わり

この世界で何とか淨らかな道を歩んでゆこうと確認し合えたとき

同じ方を向いて深めてゆこうと手を取り合えたとき

明日をめがけて眠る力が湧いてくる

 

幸せになろう幸せにしよう

守ってゆこう支えてゆこう

縁ある人の抜苦与楽のために

明日という日を生きてゆこう

 
 
 
 
 
View this post on Instagram
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

A post shared by Terry (@teruhiko007)

 

坐る、そして、祈る

この世界はいつも思うようにはいかない

差し伸べた手から零れ落ちるものはあまりにも多い

 

私はどうしたらよかったのですか

あなた方がこの世界を離れようと決める前に

何かできることは私の中にあったのですか

 

このような気持ちを何度味わえばよいのか

もっと私たちに智慧と慈悲があれば

 

そんな想いとともに今日も坐り

そんな想いとともに祈ることしかできない

 

 

 

憧れの存在

 私にはずっと憧れている方がいる。

 慈悲に溢れ、力強く、しなやかで、洞察に満ちた方だ。

 なんと先日、縁あって繋がることができた。

 とても嬉しかった。

 一つひとつの言葉は本当に慈悲深く、それに触れるだけで存在の底から力が湧いてくる。

 繋がっていることを思い出すだけで背筋が伸びる。

 私もあのようになりたい。

 ご縁に恥じないように生きなければ。

 まだまだ未熟だけれど、私もいつかあのような人になりたいと思う。

https://www.instagram.com/p/CGhm2gXj6hf/

ぶーん🐝#はち

生きていてほしいんだと思うこと

 生きていると、いろんな人に出会う。

 

 どうしてかと言われても、わからない

 死んでほしくないのだから

 助けることはできないけれど

 生きていてほしいんだ

 苦しみを取り除くことはできないけれど

 死んでほしくはないんだ

 こう思うのは、無責任ですか?

 

 ある人は、私に言った。

 「“執着”してしまうんですよね」と。「私には生きていてほしいなと思う人たちがいて、本田さんもその中に入ってしまうと思うんです」と。

 

 あの瞬間ほど、死から遠ざけられたことはこれまでなかったかもしれない、と今でも思う。

 

 その方はキリスト者だが、「愛」とはこういうものなのではないかと、その時思った。「それは執着ですよ」などと言い切ってしまうには、あまりにも尊く、美しく、気高いものだった。

 

 言葉は、いつも私の心の中にあり続けている。そして活力を与えてくれる。私は言葉をそのように使いたい。自他の抜苦与楽のために。

むすんでひらいて

https://www.instagram.com/p/CGdFf5gD8m6/

 

 むすんでひらいて。

 

 小さい時、遊び歌として幼稚園の先生から教えてもらったのが最初だっただろうか。

 

 むすんで、ひらいて

 

 ここ数年の間に、私を取り巻く関係性は大きく変わったと思う。ひらいて、のフェーズ。

 特に、日本語以外の言語共同体とのコミュニケーションが一挙に加速した。私の世界は広がったと思う。

 ありがたいことに、私の「ひらいて」を支えてくれた人たち、そして新たな友人たちは、とても優しかった。言語に還元できない、ホリスティックな地平で交わってくれる。とても嬉しかった。

 こんな世界なら、ずっとここにいたい。そう思った。彼らに励まされるように、私はひらいてきた。ひらかれてきた。

 

 しかし、ひらいて、ひらいて、ひらいてゆくと、そこには優しくないものも混じってくる。顔と名前がない世界では特にそうかもしれない。まあ、私も誰かにとっての不純物かもしれないけれど・・・。

 

 世界というのは優しい。私に慣れてゆく時間をを与えてくれた。優しい人たちに包まれて、新しい世界に対する私の“基本的信頼”を作ってくれた。

 

 だから、大丈夫だ。

 

 優しくないものに出会っても、私にはベースキャンプがある。そして、きっとその安全地帯はこれからも広がってゆくのだ。

 

 私は彼らを大切にしたい。私を慈しんでくれた人々を大切にしたい。私の誠実さと真正さは、彼らのためにひらかれていたい。まごころをもって尽すことを、惜しみなくやってゆきたい。

 

 むすんでひらいて。

 

 小さい頃から、ずっとこれを繰り返している気がする。むすんで、ひらいて

 

 時には手のひらに爪の跡が残ったり、血が滲むほど力む。でも、そのあとはやっぱり緩んでゆく。

 

 ひらいていよう。また握りしめる必要が出てくるその時まで。 

純生食パンを手に入れるまで:ハレパン

 秋になりました。ニュースをお伝えします。

https://www.instagram.com/p/CGPNod6D9-y/

秋である #すすき #秋空

 10月10日、柳川に生食パンのお店がオープンした。ただの生食パンではない。生食パンである。道沿いに看板が出ているのをオープン前に見つけて、「むふふ、これは食べてやろう」と思っていた。

 柳川人はこういったものが好きだ。「わさもんずき」なのである。何か新しい店がオープンするとなると、ワーッと集まり、そしてスーッと引いてゆく。それが柳川人である、と私は思っている。

 早速私は母に教えてやろうと思い、したり顔でそのことを告げたが、彼女はすでに知っていた。さすがである。「おやぶん」と我が家で言われているだけのことはある。おやぶんはなんでもご存知であった。

 我々は、当日誰が買いに行くかと言うことについて話し合った。並ぶことが嫌いな私だが、自分の関心がある場合は別である。律儀に並ぶ。その実績は確かなもので、数回並んだ定番コレクションでは、打率十割を叩き出している。

 私たちは朝早くから並ぶものだろうと思っていたのであるが、なんとネット予約でしか対応していなかったそうである。前日まで私はそれを知らなかったのだが、おやぶんはその点をきちんと押さえていて、予約まで成し遂げていたのである。機械に疎い彼女も、この時ばかりは実力を発揮した様子である。

 しかし、ネット予約に気づいたのが遅く、我々は出遅れてしまった。10日オープンにも関わらず、11日の17時にしか予約が取れなかったのだ。私は悔しかった。なにせずっと前から私は待っていたのだから。

 柳川人を甘く見ていたようだ。これほどのガッツを見せてくるとは予想していなかった。やはり福岡、久留米、柳川の三拠点生活をしている私は柳川人アイデンティティが減衰していたのであろうか。彼らのポテンシャルを見誤っていた。

 悔しい顔をする私に「ほら、証拠」と言わんばかりに母はスマホの画面を見せてきた。今週半ばまで予約でいっぱいである。みんな、そんなに生食パンが珍しいのであろうか。生食パンを売っている店はたくさんあるのに、そんなにパンに飢えているのか。不思議である。かく言う私もその一人であるのだが(昔、天神地下街蕎麦屋の前にたむろする海外からの観光客をみて、「お前たち、そんなに蕎麦が珍しいか」とつぶやいた人のことを思い出す)。

 私たちのパンが手に入る日がやってきた。最近調子が悪い私は昼過ぎに起きたのだが、昼過ぎから午後5時を心待ちにしていたのだ。が、そのお気持ちは母の一言でポキされることになる。母がパンを迎えにいってくれることになっていたのだが、母は食事会が午後6時からあるらしく、母が帰ってくるまで私は純生食パンさまに謁見することがかなわないことが明らかになった。

 「おい、まじか」と思ったが、私に迎えに行くだけのエネルギーは残されていないもので、ここはおとなしく引き下がることにした。何時に帰ってくるのかと母に聞いたら、午後9時くらいには帰ってくるとのことだった。

 母を待つ時間は長かった。書き物をしていても、本を読んでいても、父とステーキを焼いて夕飯を食べていても、頭のなかは純生食パンのことだけである。パンが来る!この期待は、私にお米を食べることを思いとどまらせた。炭水化物の二重摂取はデブのもとに他ならない。そして夕食も済み、食後のコーヒータイムが近づいてきた。

 しかし食後のコーヒーを淹れようにも、一向に母はパンを連れ帰ってはこない。煮詰まったコーヒーではパンに失礼であろうと思い、紅茶にしておくことにした。例のオシャレ紅茶である。

 「ガチャリ」。遠くで鍵が開く音がした。鍵っ子であった小学生時代、この音をどれほど待ち焦がれていたことであろうか。一気に昔の記憶が蘇ってきた。当時の私はパンではなく、母を待っていた。なんと健気な子どもであったことか。

 母は、おもむろに保冷バッグから純生食パンの入った紙袋を取り出すと、静かに台所へと入っていった。そして透明のビニール袋に包まれたパンを抱え戻ってきた。コストコで大量に買ったキッチンペーパーを丁寧に四つ折りにし、パンの袋の内側の水滴を拭き取っている。この作法もパンの親玉から指示されているらしい。なるほど「純」と冠しているだけのことはある。ホスピタリティを要求するパンを私は初めて見た。

 さあ、どうやって食べようか。二斤分あるので、まずは四等分にして、うち1つを手でちぎって食べようではないかということになった。この「手でちぎる」という作法も親玉からの指示らしい。

 一連の礼をかの食パンに対して尽くした後、我々はようやくその味にありつける運びとなった。指先に触れる純白の生地は心地よく、この世のものとは思えないほどしっとりとしていた。そしてパンのミミはどこかしらと探しても見つからないほど柔らかく、お味も優しくずっとちぎり続けることができると思わせるものであった。

 ・・・二人掛かりである。すぐにちぎる分は終了した。そして次の山に取り掛かった。私は米粒を食べなかったが、母は食事会のあとである。それなのに私と同じくらいパンを食べている。一言物申したかったが、彼女が連れてきたのでやり損なえば御預けを食うことになりかねない。私は我慢した。そのうち、父もちぎる儀式に加わり、あっという間に一斤が消えていった。

 そう、以前から思っていたのだが、我が家のB型血液を体内で循環させて過ごしている人々(通称チームB)は、「味わう」ということを知らないらしい。パクパク、パクパクと食べるのである。しかもその一口が大きい。そしてすぐにおかわりに立つ。遠慮もない。一方、我々チームAは、それはもう恭しく食べる。父の参加を内心ややいぶかしく思いながら、お客様に失礼があってはならないと思い、おもてなしの心でいただいた。

 一夜明けた今日、まだ戸棚の中には一斤分ある。やはり母が帰ってくるのを待って、どう取り扱うべきかを協議する必要があるであろう。まあ、パンは正直もうどうでもいい。母が元気でいてくれれば、それでよいのである。そう、この一言を言えばいいのであるがなんとなく照れくさく、長々と書いてしまった。かわいい息子である。

 長いまくらとなった純生食パン様も美味しかったので、興味を持たれたソコのアナタ、ぜひお宅に迎え入れられることをオススメします。参考までにリンクはこちら↓

www.hare-pan.com

 皆様がいつまでもお幸せでありますように。

マダムと犬

 小学二年生の頃、私は犬を飼いたいと思っていた。「お手」と言えば前足を出し、「お座り」と言えば座り込む可愛らしい姿をテレビで見て以来、ずっと憧れていた動物が犬であった。同級生には数人犬を飼っている者がいて、とても羨ましく思っていた。その中でも「シバイヌ」は私の中で特別な存在であり、その日本的な面構えが私の心を掴んで離さなかったのである。

 ある朝登校中に、3匹の犬を連れた散歩中マダムと遭遇した。彼女が連れていた犬のうち2匹はたいそう大きく、「こんなに大きくなるなら一緒に住むのは大変だなあ」などと思いながらマダム御一行様の傍を通りかかった。当時の私は犬に種類があることをよく理解していなかったらしい。

 「おはようございます」と歩みを止め、真新しい黄色い帽子をとって挨拶した私だったのだが、マダムと犬たちからは何の応答もなく、知らん顔であった。当時の私は今ほど心が狭くなかったので「犬のことを熱心に気にして私に気づいていないのだろう」と黄色い帽子のつばを撫でながらトボトボと通り過ぎたのであった。

 ところが御一行を追い抜き10メートルくらい行ったくらいのところで、「うぉん」と犬が吠えた。「行ってらっしゃい」とでも言ってくれているのかしらと思ったのだが、どうやらそうではない。振り向くと、3匹のうちチビが私に向かって吠え続けている。何となく機嫌が悪そうである。

 「ははん、小さいやつほど虚勢を張るんだと柳川のじいちゃんが言っていたが本当だな」と私は思った(祖父の名誉のために付言すれば、他にもためになる金言をたくさんいただいている)。が、一向に吠えるのをチビがやめない。初めは小さく見えていたチビも、デカイ2匹に比べて小さく見えるのであって、実は普通のシバイヌくらいの大きさであることが十数秒のあいだにわかってきた。しかも吠えているチビの目は、なんとなく濁っているようで、私の知っている「犬」のキラキラしたおめめとは違っていた。私は途端に怖くなった。

 そう言えば、怖い動物に遭遇した時の対処法をテレビでやっていたのを思い出した。「後ろ向きで歩く」とか「死んだフリをする」とか「無視する」とか方法は様々であったが、怖がっていると思われたくない!と私は思った。やはり男の子である。そこで「無視」を決め込むことにしたのだ。

 黄色い帽子をキリッとかぶり直し、学校の方を向いて歩き出した。やや早歩きである。犬の声が近づいてくる・・・後ろをチラ見するとチビが追いかけてきているではないか。男のプライドなど、どうでもよい。

 私は逃げた。走って逃げた。手をふれば足も回ると思って死ぬ気で腕を振った。私は足が遅い方ではない。リレーの選手で走ったことだってある。それについ先日、靴をマジックテープで止めるものから「ひもぐつ」に買い換えてもらったばかりである。

 だが、相手は犬だ。四輪駆動である。負けるのは当然なのである。

 生暖かい感触が足に触れたかと思うと、ピリッと痛みが走った。チビに噛まれたのである。私は半泣きでペタンと座り込んだ。するとマダムとデカイ犬2匹がやってきて私にこう言ったのである。

 「逃げるから追いかけてくるのよ」

 クソババア、と思った。「ごめんなさい」も言わなかった。絶対先生にいつけようと思った。

 この事件以来、私は犬に関心を持たなくなった。冷めたのである。あのマダム御一行はどうしているだろうか。まだ生きているだろうか。そんなことを思い出す秋の昼下がりである。

 みなさま、犬を散歩させるときは、ちゃんと首輪と紐をつけましょう。