こんなのはじめて。

   台風で九州は大荒れのようです。

 

   東京はまだ静かですが、心は暴流に流され続けています。

   何とか水面に顔を出し、息を吸い、不放逸であるように心を奮い立たせていると、また押し流されてしまっています。

 

   何度も何度も、流されては息を吸い、流されては息を吸う。

 

   こんな私をかろうじて支えているのは、やはりこれまでの修習と師や先達への信です。それから理性。

 

   無条件に心を傾けてくださる人々の存在や、彼らから発せられる慈悲に満ちた言葉。

 

   そのおかげで、暴流においてもかろうじて息ができている。

 

   そんななかで、いつ、この理性が弱まり、息をすることをやめ、暴流に流されてしまうだろうかと、怯えています。

 

 

   それでもまだ、水面に顔を出そうともがいている私を、一番近しい他者としての私を、私は抱きしめてあげたいです。

 

   ラベンダーとティーツリーの精油をお守りに。

 

   呼吸と緊張と弛緩を島として。

 

   多くのことを学んでいるのだと思います。

 

   私からひらけている唯一の世界を、慈悲に満ちた輝かしい、苦しむ人がいないところにしたい。そんな世界でありたい。

 

   そのために少しずつ長く、今も息を吐きます。

死んで蝶になる。

   東京からごきげんよう。本田陽彦です。

 

   台風が九州上陸!?とのことで、出発を1日はやめて本日からお江戸へ上っております。飛行機が飛んでくれてよかったです。

 

   昨夜、とんでもないことが起きてしまいました、、、え?なにこれ?!映画か何かを見ているような、、、。

 

   とどめを刺されて私は死んでしまったのです。

    

   「明日は東京へ出て行くからは 何が何でも勝たねばならぬ」

   村田英雄さんの「王将」に出てきますね。明日から東京へ出て行き、自分に勝たねばならぬというときに、私は死んでしまったのです。今も死んだままです。

   

   宇宙って、いのちって、何なの?どうしてこんななの?おかしいでしょ?って。

 

   善因善果、悪因悪果。ほんとうにそうなのかな。因果がねじ曲がっているんじゃないの?って思ってもおかしくないです。

 

   ・・・うん。でもね、宇宙はそれでも完璧らしいんですよ。笑いが出るくらい。

 

   こうなる前から、救いが、安全策が順序よく整えられているんですよ。。。

 

   このタイミングで死ぬことは、大きないのちからみると何らかの役割なのかもしれないです。私は知りませんけどね。

   ほんと、、、意味があるのでしょうけれど。。。

 

   何となくですけどね、もっと深く死なないといけない気がするんですよ。とことん、死なないとね。

 

   マインドフルネスによって、この死を、どう自我が死んで行くか、しっかり見守っていたいと思います。

   

   青虫が蛹の中でその姿を滅して、それから蝶になるように。十字架の上で死んで、それから復活するように。死んで、浄土へ行くように。

 

   私も死んで、蝶になる。

 

        本田陽彦

   

敬老の日を前に念う

 緊張しております。本田陽彦です。

 

 来る敬老の日は、私を慈しんで育ててくれた祖父母、また人生の先輩方を尊敬し、感謝する日です。

 そうなんですが、ちょっと余裕がないです!・・・と言いますのも、この日、全国吟詠コンクール決勝大会が東京の笹川記念会館にて開催されます。

 そうなんです。私、出場いたします・・・ドキドキ(心臓の暴れる音)

 

 今年こそは・・・(!!)

 

 私を慈しみ、育ててくださった方々がお元気で、この世にいてくださる間に、私は日本一になりたいと思います。

 

 私はですね、エンターテインメント性にばかりフォーカスすることを嫌っております。

 確かに、舞台を見ていただいてなんぼの世界ではございますが、それは副次的なものではないのか?と私は考えています。

 

 「道」というものは、人間性、人格の向上をその第一とするようでなければならない、というのが私の流儀であります。先日お会いした方との議論のなかでも、この話題になりましたが、人間の器を錬るのが道というものでございましょう。

 

 そして、慈悲と智慧が十分にもたらされるまで、その修習は続けられなければなりません。それを行じることが道であるのではないでしょうか。

 

 吟の道を習うというは、先達の徳と恩を知ることから始めねばなりません。

 吟ずる詩歌を世に送り出してきた詩人たち、吟の伝統をここまで絶やさないように守り続けてきてくださった方々に感謝しなければなりません。宗家、会長の徳と恩は限りがありません。感謝の念いがこころの底から自然に溢れてまいります。

 

 吟道を教えてくれる師がいなければ、吟詠はできません。吟のいろはを教えてくれる人がいなければ、何もできないのです。その存在は、それだけでただ、尊いです。

 私の師は、両親と祖父母の次に長く、慈しみをもって私の人生を見てくださっている方です。そんな師を尊敬して、教えを受けるのです。また、吟の技術はもちろん、人としていかに生きてゆくか、道は通しておかねばならないことを幼いころから教えていただきました。かけがえのないお方であります。

 

 そして、吟道を修習している吟友です。私にとっては人生の大先輩ばかりです。みなさんの先生に対する礼の尽くし方をしっかりと学ばせていただき、人生経験に基づくお言葉で私を導いてくださいました。愛情も溢れんばかりに注いでくださいました。

 

 そんな吟道を歩むことを応援してくれる家族の理解も並々ならぬものがあります。

  

 このように、吟の道を支えている全てに感謝をして、自らの人格を向上させることにこころを向けてゆくことが、吟道であると私は考えています。それが私の流儀です。

 

 そうです。コンクールの結果なんでどうだってよいのです。ただ、吟に関わるみなさまに私が直接的な孝行、恩返しができるとすれば、日本一になることではなかろうか・・・と。

 慈悲を念じて、吟ずることが充分にできたとき、結果はやってくることでしょう。

 

 健やかで、危険がなく、心安らかに、幸せであれかし!

ゴキブリを叩き殺す派ですか?

 ゲジゲジやゴキブリなど、身の回りにいると、不快に思われる生き物がいる。

 私は彼らを不快だとは思わないが。まあ、そう感じる人もいる、という話である。

 

 人間も同じようなもので、ある人間に対して不快であると感じる人もいれば、そうでない人もいるのである。このあたりは非常に面白い話がたくさん関連しているのであるが、今はそんなことはどうでもよい。

 

 私は、ゲジゲジやゴキブリ(如何にも不名誉な用い方をしているようで両種には申し訳ないが)を野放しにしておく性格である。

 彼らを見かける、ということは、私の生活圏内に彼らが生息しているか、彼らの方から私を目がけて飛んでくる(ゲジゲジは飛ばない)か、あるいは、何かについて来きたり運ばれてくる、ということであろう。これは、いかなる理由であれ、私の近くに彼らが生息できるだけの環境が整っているということである。

 

 管見では、人間という横柄な生き物ときたら、彼らを目の敵にして、新聞紙を丸めて追い回したり、スプレーを撒き散らして追いかけたり、、、といったことをする。大変おっかない。

 私は、そのような野蛮な人間ではないので、虫をいじめたり殺したりはしない。不殺生戒を守っているのである。これは、戒を守っているから殺さないのか、はたまた優しさに溢れているがゆえに自然と守っているのか、正確なところはわからないが、生き物を殺さないというのは、私の生きる上での約束事である。

 

 野蛮であることをやめた私も、当然、ゴキブリをみて「キャー」と甲高い声を上げることもある。もちろんキモチワルイからだ。しかし、私は野蛮であることを放擲している手前、前途のごとき迫害行為をとることはない。したがって、彼らは私の前から消えることはなく、気の向いたときに、私の目に触れるところにいるし、頼んでもいないのに、食材をあさっていたりする。ときには一緒に車に乗り込むこともあるかもしれない。

 

 私は嫌なのだ。はっきりいって、迷惑している。しかしながら、彼らを追い払うことはできない。虫除けスプレーをふればよいかもしれないが、吸い込んでしまえば、大事な私の喉に害がある。そんなことできるものか。

 甘い香りのする、一見すると美味しそうだが、実はお彼岸直行の魔法の顆粒をまいておくこともできたろう。しかし、私はどうしてもそれができないのである。

 

 その結果、彼らは飛び回り、私の記憶の中に常にいる。私のレコードのテーマ分くらいは、彼らの羽音が(くどいようだがゲジゲジは飛ばないのでカサコソという足音)が録音されている。

 聴き直すと、まことに、不快である。ノイズとして除去することもできず、ただただ、それを聴き続けねばならない。繊細で感性豊かな耳をもつ私には耐えられない。

 

 私は後悔した。追い払っておけばよかったと。レコードを鳴らすたびに、奴らの羽音が私を悩ませる。まだアドリブソロも始まっていないというのに。聴くのをやめてしまうのだ。

 

 私は、私の作品を愛したい。心から愛したい。何よりも大切に守ってやりたい。

 

 私はどうすればよいのか。

 

 目の前で生き物が苦しんでいるのを見たら、その苦しみを取り除いてあげたいと思う。

 

 苦しみが取り除かれて、楽になった姿をみると喜びが生じる。

 

 それは結構だ。

 

 しかし、皮肉なことに、助けた生き物から、のちに苦しみを与えられることもある。

 

 もっとも、苦しむのは、苦しみを感じる主体が、勝手に苦しむのだが。

 

 抜苦与楽されたものは、苦しんでいたころのことを忘れるのだろうか。

 

 生き物は、ひとたび楽を得ると、苦しかったことを忘れるのだろうか。

 

 自分の楽を確立した生き物は、他の生き物を苦しめてもなんとも思わないのか。

 

 人生は、まことに、不条理である。

放生会@筥崎宮

 ごきげんよう。本田陽彦です。

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 昨日から筥崎宮放生会が行われています。「放生会」は「ほうじょうえ」と読むことが多いようですが、博多では「ほうじょうや」と皆さん読んでいます。なまったのでしょうね。

 

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 私は昨日、お参りに行ってきたのですが、初日から参拝者が多かったです。午前中は曇りでしたが、午後からは気持ちの良いほどに晴れていました。

 名物の新生姜もならんでおり、私は生姜の砂糖漬けを買いました。薄くスライスしてあり、パリっとした食感で美味しいです。

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放生会名物、生姜の砂糖漬け

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 タッパーに入れておかないと湿気ってしまいます。この文章を書きながら写真を撮りつつ、パクパク笑。美味しい。

 

 あ、そうそう。放生会に行こうと思っていらっしゃる方!コインパーキングには注意ですよ。日頃1時間100円とかの駐車場、このときばかりは値上してますから!!!私が駐めたところは看板の下の方にさりげなく「1時間500円 最大料金なし」と紙が貼ってありました。こういうのって、値上期間は通常の表示を隠すようにして貼るべきだと思うんですよ!まったく、きっっったねぇぜっ!!

 

 皆さんも行ってみてくださいね。

 

 健やかで、危険がなく、心安らかに、幸せであれかし!

〈「いのち」〉と〈「いのち」〉のご縁という〈いのち〉

 ごきげんよう。本田陽彦です。

 

 今年になって私の周りの様子は少しずつ変わっています。

 

 よいことも、わるいことも起きていますが、きっと全ては必要なことなんでしょう。これまでだってそうです。その渦中にいて、もがき苦しんでいるときはわかりませんが、このように振り返って観察してみると、全ては必要であって、無駄なことは一切ないのだとわかります。

 

 私は幼い頃から、なんとなく、同世代の人たちと一緒にいて、生き苦しいような感覚がありました。同世代でなくとも、一緒にいて苦しい人はいます。これは私が勝手に苦しんでいるわけですが、どうしようもなく、苦しかった。

 

 ところが、今年の夏くらいからでしょうか。とんでもない出会いがたくさんありました。本当にありがたいことです。有り難い。

 

 私は輪廻思想を受容する人間なのですが、きっと過去生で深いご縁があったのだろうなと感じます。その方たちのことを思うと、とっても懐かしくて、あたたかくて、少しさみしくて(なんでだろう)。

 

 人間は70億人以上この地球に住んでいるらしいです。私は全員を見たことがないのでそんなに多い気がしないのですが笑。そんな中から今生、私が出会うことができるみなさまは、きっとこれまでの生でも出会い、お世話になってきたのでしょう。

 

 人生、ほんの少しだけ、ちがった生き方をすれば、出会う人間模様もガラリと変わりますよね。朝電車を一本ずらすとか、別の道を歩いてみるとか、そんなことで。

 当初、座る予定の位置に座らなかったために、お隣の方に声をかけていただいき、トントン拍子でご縁を紡いでいただいたり。くじ引きで同じテーブルになり、大勢いるなかからお声をかけていただたり。

 

 初めてお会いしたのに、もうすっかり家族のような気持ちになって。このミラクルとでも言いたくなる(う〜む、論文でこんなことかけません笑)出来事は、やっぱり過去生からのご縁なのでしょう。

 

 このように身の回りの出来事を観察して淨かに坐っていますと、ああ、生きているからこのご縁をいただけたのだなと思えます。人間やめたいと思えども、人間であるからこそ、みなさんと出会えるのだと。この記事を読んでくださるあなた様にもですね。

 

 この こころのあたたかさで、今日の1日を生きてゆくことができます。私には何ができるでしょうか。できることを、できるときに、こころこめて。積むべき功徳を積みます。

 

 健やかで、危険がなく、心安らかに、幸せであれかし!