どうやら世界が好きらしい。

 この世界に対する慈悲の心が突然じわじわと湧いてくることがある。

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6月に訪れれた五島の海。美しかった。今の私の心のようである!

 世界が幸せでありますように。世界から苦しみが消えますように。苦しみが少しでも軽くなりますように。幸せが少しでも増えますように。

 人間も、その他の動物も、植物も、一切の生命は幸せでありますように。心の、身体の、すべての苦しみから離れて、安穏でありますように。

 私はこの世界を愛しているのだと思う。「私はこの世界を愛しています」と日頃から意識しているわけではない。むしろ「私は世界があまり好きではない」人間なんだという自己認識である。しかし、最近はよく生じてくる、この突如として湧出する世界に対する慈悲の心に、「ああ、私は世界が好きなんだな、愛しているのだな」と自覚するのである。

 ここでいう世界というのは、何の気なしにいうところの世界であって、私が生まれてくる前からあって、私が生まれてきて他者と出会うと考えられているところの世界である。世界は虚構だ(だが、それが確かなものであるように続いていることに驚かされるのだが)。そんなことをしみじみ感じているのに、それでも、やっぱり、世界が好きらしい。

 もちろん執着があるから。でも、本当にそれだけなのだろうかと最近思う。執着以上の・・・なんと言えばいいだろうか。それを超えたところからの慈しみか。そう夜中に思いながら煌めく星を見上げれば(といってもネオンまじりであるが)、こんなに世界は美しかったかと思うのである。

 今年だったか去年だったか、正月あたりに私の恩人であり友人から、「今年の目標は何か」と聞かれ、「世界を救うこと」のようなことを答えた記憶がある。そうはいったものの、一体この私に何ができるのであろうかと、自分のちっぽけさを感じることもあった。しかし、つい先日、私の敬愛する大先輩の心における過去との和解に私の存在が貢献していたということを聞いて、とても嬉しかった。私が生きている意味はあるのだなと思った。ありがたい。私は他者から恵みを授けてもらってばかりだと思っていたのだが、存外、役に立っているところがあるのかもしれぬ。それが大切な人の役に立っていれば、なおのこと嬉しいな。

 そうそう役に立つといえば、私の弟である恭裕が、8月から日本語パートナーズとしてインドネシアへ旅立つことになっている。彼も非常に未熟であるが、自分の身をもって立派に人の役に立つことをしようとしている。私は直接的に役立っていることを実感する場面が少ないので、このような形で直接的に人と関わり、何かを伝えてゆくことに憧れのようなものを感じなくもない。向こうで成長して帰ってくる時には、私が憧れるような人格を生成してくれていることを願っている。

 最後はアニキ風を吹かせてしまったが、弟をやや誇りに思う日がくるとは・・・笑 おそらくこのブログを読むであろうから、兄上のお気持ちに応えんと精進していただきたいものである。明日あたり、スリ防止にボディバッグを一緒に買いに行こう。