夜虫

夜もそろそろ明けてこようかという時間である。実は明日発表せねばならないが原稿がまだできていない。一度寝て、今起きだして再び書かんとしているところなのであるが、筆ならしにブログを書いているという逃避型とも言える行動である笑

ここのところ忙しかったし、週末は全て行事に費やされていたので仕方がなく、このようになることは予想されていた事態ではあった。しかし、もう少し何かできたのではないかと自省している午前3時である。まあ、反省はこのくらいにして、何か書いてみたい。

実は、私は諸々の変化について、例えば四季の移ろいなどには敏感な方だと思っていて、微細なものであれ変化を感じるとそれを丁寧に味わって過ごしている。私の師匠は修行中に「季節は変わっています」とよくおっしゃっていた記憶があるのだが、そのせいか季節が大きく変わりつつある時にそれを掴むように私もなっていったようである。

そんな日常を生きているので、変化の中でも割と大きなもの、「紫陽花が今日から咲いた」とか「今日から蝉が鳴きはじめた」とか、そんなことをリアルタイムで記事にしたいと思っていたものの、忙しさにかまけて実行できていなかった笑 それでこのタイミングで、全ては過ぎ去った話であるが、少し書いてみたいと思ったのである。

我ながらズボラであると思うのが、書こうと思ったことはメモするとか、カレンダーに印をつけるとかしていれば、振り返って記事を書くことができるのにと思うのであるが、そんなことはしちゃあいない。私からすると、そんなことは馬鹿げていて、その瞬間を満喫して味わい尽くすことに人生の全てがかかっていると言えるからだ。完全な言い訳である。汗

そういえば、最近言われた言葉で嬉しかったことがある。「本田さん、雰囲気が変わった」というものだ。どう変わったのかとやや不安になったが、「良いように変わった」とのことで一安心。「何か目指すものがしっかりと定まって、軸ができた感じ」というお話であった。

この種の話は、通常の私であれば「そうなのかー」くらいに流してしまうところなのであるが、おっしゃった方が私の敬愛する人であったために、それはすぐさま流れては行かず、ずっと留まり続けている。どう変わったのかしら?何が定まったのかしら?・・・もしかすると、意識に上ってきてはまだいないところで、いのちが掴んだものがあるのかもしれないなと思ったりもする。なんだが元気が出る話である。

最近の私は、結構開かれていると思う。人付き合いがある。笑。なんだそんなことかと思われたかもしれないが、私にとっては大きな変化なのである。友人と進んで食事をすることもあるし、縁ある人々と親密な時空を共有することだってある。これまでにはない変化である。

そんな時間が増えると、「ああ、人間って社会的な間柄的な生き物だなあ」なんてしみじみと思うものである。そして、他者の経験の厚みが増すと、人間って案外同じことで悩んでいるものだなと思うし、そこに思いやりが生まれてくる。そして親しい他者と交わることによって、私の型は揺らぎ、その揺らぎは内的な深い想いをも揺らがす。それによってこわばりは解け(その逆もあるが)浄化される。もちろん、直接的に想いに触れることを自他において許した場合に、であるが。

ああ、そろそろ本業に戻らねばならない。まだまだ書いていたいというお気持ちが溢れているのであるが、このお気持ちを維持しつつ、原稿を書いてゆこうと思う。

では、お休みなさい?笑