祖父の誕生日

 こんにちは。

 昨日は祖父の誕生日でした。今年の誕生日は、祖父にとって、祖母にとって、そして私たちにとって特別なのです。f:id:teruteru007:20190114135428j:image

   ちょうど一年前、祖父はひどい腹痛で病院へ運ばれて、誕生日を自宅で祝う事が出来ませんでした。大きな鯛を祖母が買ってきて、ケーキとご馳走を準備していたのですが、祖父は食べる事が出来なかったのです。しかし、そのおかげで病気の早期発見がなされ、不幸中の幸いでありました。ところが、その直後に祖母が骨折し入院して大変でした。(父方の祖父が正月明けから救急搬送されましたので、これで全員入院してしまったのです)

 

 ようやく全員退院したかとホッとしたのもつかの間。六月の私の誕生日に、祖父が高熱と発疹で病院に運ばれました。高熱がきっかけでアルツハイマー型の認知症と診断されたのです。これまでとは違う祖父と、これからどうなってゆくのかわからない状況に不安を覚えながら、祖父と私たちの忍耐の日々が続きました。

 

 入院中、初めて会った時には、せん妄症状が現れ、車椅子に固定されていた祖父に会った私は、驚きと戸惑いに押し流されそうになり、一瞬一瞬の呼吸につかまって踏み止まっていたことを思い出します。

   加えて、長い時間病室に寄り添う中で、医療を取り巻く様々な限界、失望などを目の当たりにしました。自分の修行であり、研究でもあるマインドフルネスをもって、またジョアン・ハリファックス老師の"Being with Dying"を読みながら、ただ祖父のそばにいることを学びました。また、偶然にもアルフォンソ・リンギスの思想に出会い、励まされて、夏までなんとか乗り切る事が出来ました。

 

   祖父が自分自身を用いて、最後の教えを授けているかのように私には思えました。祖父との時間が残りわずかであることを直感しながら、時折涙をお互いに流しながら過ごしたのです。

   そんな時、私の住んでいる団地の自治会長さんらの、思い出づくりになればというお取り計らいによって、祖父は夏祭りに出演することになります。これが祖父の生命に力を吹き込むきっかけとなりました。

   身体を起こすことすら難しくなっていた状態であったにも関わらず、「舞台に立つ」ということを伝えた日から、祖父の目には力が戻ってきたのです。何十年も大好きで続けてきた歌を、もう一度歌うという意志が、祖父に力を与えたのです。

   自分から「稽古する」と言い、身体を横にしたまま声を出します。もちろん息は続かず、何度も息継ぎをしながら歌います。それでも「もう一回、歌う?」と尋ねると、「歌おうかね」とマイクを掴むのです。

   それを続けるうちに、椅子に座って歌えるようになり、一息で歌えるようになり、立ち上がって歌えるようになり、手のふりをつけて歌えるようになり、、、と、私はそばで見ていながら喜びと驚きに包まれていました。

   そして、ついに夏祭りの舞台に立って、無法松の一生を歌い上げたのです!!!私は涙をこらえることができませんでした。好きなことの力、歌の力、そして何より、祖父を思う皆の心が、祖父のたましいを繋ぎとめたのだと感じました。

   寿命というものは、やはりあるだと思いますが、慈悲によって、愛によって、それは変わるのだと今の私は感じています。私はそれを目の当たりにしたのですから。

 

   そんな祖父が年を越し、85歳の誕生日を迎えました。私たち皆にとって特別な日となりました。一緒に食卓を囲み、同じご馳走を食べることのできる幸せを、これ以上ないほどに味わいました。

   「ありがとう」と涙声の祖父に、私たちは力を授けられたように感じます。このひとときを味わうことができるなんて、なんという幸せであろうか!心のそこから喜びが溢れてきました。

   善哉善哉!じいちゃん、お誕生日おめでとうございます。また一緒に舞台に立ちましょう。

 

   健やかで、危険がなく、心安らかに、幸せであれかし!