平成30年度 西日本吟詠吟士権大会

 こんにちは。ここ数日、わりと暖かい気候が続いています。

 みなさんお元気ですか?私は最近、身体がダル重〜です。朝が辛くなる季節であるということもあり…うむむむむ(ちかごろ情動言語が多発している気がする)。

 

 さて、今日は先月に行われました西日本吟詠吟士権大会について書いてみます。そういえば、吟詠についての記事をあまり書いていませんね。7月に祖父と出演した夏祭りの思い出なんかも書いていませんし、9月の決勝大会の記事も書いておりません笑。忙しくて…ま、おいおい書いてゆきます(たぶん)。

 

 さてさて、この西日本新聞社主催の吟詠コンクールは、吟詠家なら誰でも参加できるものであります。予選、決戦大会があり、そこで吟士権を獲得した吟詠家が、この吟士権大会に集います。歴代の吟士権者との競吟を経て、その年に一人の最優秀吟士権者が選出されるのです。昨年の決戦大会は下の記事からどうぞ。

teruteru007.hatenablog.com

 この記事の後に行われた昨年の吟士権大会において、 有難いことに最優秀吟士権の称号を頂戴しました。全くもって思いがけない出来事であり、カメラもなにも持ってきておりませんでしたので記録がありません(とても残念!そして翌日から私は高野山に旅立ち、そこの居酒屋さんで食べた鳥刺しでアタったのは今となっては よきおもひで。皆様、鳥は絶対加熱した方がいいです…酒飲んでるから大丈夫!は嘘!)。

 

 さて、そんな出来事からちょうど一年が経ちまして、今年も吟士権大会がやってまいりました。私は昨年いただいた大きな盾の返還式と招待吟のために出演いたしました。招待吟には私を含めて6名の吟詠家が出演しましたが、彼らは吟道と人生における大先輩であり、高名な先生方であります。それを思いますと、背筋が自ずから伸びてゆくようでありました。

 記念写真をパシャり。お花つけるとなんだかホンモノみたいじゃないですか?笑

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大濠公園能楽堂にて

  おそらく、(オープンなものでは)今年最後の舞台であろうこの大会で、私は一年間稽古をしてきた折楊柳を吟じました。これは9月の決勝大会でも吟じた詩であります。

 おかげさまで、今回は吟道における私の流儀*1とするところの、観照的実践(Contemplative Practice)としての吟詠が理想とする形で立ち現れてくるといってよいような舞台へと展開したように感じます。

 

 11年ぶりに師匠からお褒めの言葉をいただきました。とても嬉しかったです。でも少し恥ずかしいような。師匠は家族に続いて私を長く慈しんでくださっている方です。数年前には大手術も経験なさいましたが、今でも変わらずご闊達で、私どもを教え戒め正しく導いてくださいます。世間ではいろいろありますけれども、もう一度、吟における世俗的な有意味の方に向かって頑張ってみてもよいかな、と思った日でありました。

 

 それでは、最後にお知らせを。昨年の吟士権大会において、取材をしてくださった宮原さん主催の狸ばやしさんにて来年1月に開催される「よね吉 そうば二人会-上方落語-」に、我々本田兄弟も出演いたします。1月20日の日曜日。(近づいたら、またアナウンスしますね)

 落語の世界と吟詠の世界。(吟詠に比べて)身体を動的に用いる落語。(一見すると)静的な身体において、心の営みのダイナミズムが現れる吟詠。道具と所作、節。これら非言語的要素がどのように機能しているのか、舞台をどう支えているのか。私も楽しみにしています。

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 それでは、今週も元気に過ごすことができますように。

 健やかで、危険がなく、心安らかに、幸せであれかし!

*1:ここでいう流儀とは、「私」が「詩」を解釈したり、表現したり、という「はからい」を為すのではない。もちろんそれらを稽古の段階では十分に用心しているのはいうまでもないが、舞台ではそれらを手放して、流体エネルギーが振動エネルギーに変換されるまさにその場所を中心に心を配る。あとは、微細な気づきをもって、生じてくる音と調音点への意識で、動的な展開を見守る。いわば「私」を引っ込めて、詩の作者の心の営みが現れる場となる、あるいは成り切ることである。