主人公はわたし。

 こんにちは。

 昨日寝ようとする前に、ポジティブな感覚がぐっと湧いていました。

 人生の主人公はわたし。素晴らしい人生を、これからより素晴らしいものにするのは、すべてあなた(わたし)の御心のままに・・・というような。

 

 すごく前向きですよね。私はこの気持ちを保存しておきたい!と思いました。大切に、大切に、しまっておきたいなと。この気持ちが消えてしまわないだろうか・・・という恐れも同時に出てきましたね。

 このように、快い感覚は好ましいものですが、執着や恐れの温床にもなりかねない。でも、しなやかな自我を育んでゆくには、このポジティブな心を大切に守ってあげることも必要なんだ、と今は思えます。

 日常的な意識に浮上してくる思いが、いわゆる蔵識から生じているのであるとすれば、日常の表面の意識の場で積極的に善いことを思惟してゆくのも大切だなと思います。それが普段は意識していない意識にどれだけ浸透してゆくかはわかりませんが、そうやって意識できるところで努力してみるというのも、ある時期には必要なのかもしれないな。f:id:teruteru007:20180604154524j:plain

 

 少し話が変わりますが、小さかった私が大きく成長するということは、周りの人々も年をとるということです。どうしても老いに伴って身体は壊れて行くし、最後には一つの命が終わってしまう。

 そんな先輩方を目の前にするとき、亡くなる前に、やはりお伝えしたいことがあるんです。そこには責任が伴うけれども、どうしても伝えたいと思ってしまう。これはエゴなのかな。

 高校を卒業して、出会った私の師匠は言いました。「人間に生まれてきたからには、慈悲喜捨の心くらいは知って死んだ方がいい。」

 死というどうしようもない出来事に出会うとき、私は師匠の言葉と声、優しく微笑みかける様子を思い出します。

 

 健やかで危険がなく、心安らかに幸せであれかし!