いのちのつながり

 こんにちは。写真は5年位前にサックスの師匠のお供で弁天さんにお参りに行った時に現れた虹!綺麗でした。思い立って写真の整理をしていたら発見してのアップです。(註:写真はいい思い出も悪い思い出も、その時はよくても後から忌々しいものに変容する可能性があるものまでしっかり残すので、写真を撮る時は慎重になる必要があります・・・)f:id:teruteru007:20180603222315j:plain

 最近、心という性質を観る解像度が上がってきている感じがします。やっぱり心は自分のものではない笑。真面目な話、沼の底から湧き出てくるアブクみたいにポコポコ思いが出てくる。

 その思い、思考、考え、記憶などの心の対象が生じてくることを、まさに生じてくるそのままに、正しく意識することが瞑想では大切なわけですね。

 

 今日、祖父を招いて食事をしたのですが、食事中も記憶がポーン・ポーンと、なんの脈絡もなく出てきてはこちらを見ている笑。まあ、私が食事に寄り添って、心を込めて食べる決意が弱かったということもありますが・・・。

 ここで、できるだけ自覚的に、意識を伴わせながら、生じてきた心の対象を追いかけてみます。するとですね、どの記憶も行き着く先はネガティブな気分を味わわせてくれるものばかりなんですよ。もしかしたらこれは私だけなのかもしれませんが、これだけたくさんの思いが湧いてくるのに、ほとんどの場合が暗い。中には楽しい、ポジティブな志向性を有するものがあってもいいじゃないか!!!!!(怒)と私は恨めしく思うわけです!

 そんなことを食事をしながら観察し、家族で話し合いました笑。

 

 今の時代、核家族化が進んで(?)いますからね。三世代で食卓を囲むのは稀なりと聞きます。私も久しぶりにおじいちゃんと食事をしましたが、昔話なんかを細かくやってくれるんですよ。私が知らない(たぶん両親も知らない)人たちのことを、めちゃめちゃ詳細に語ってくれる。正直、聞いていてもわからないし、人間関係も頭に入ってこない笑。でも、ほっこりします。これまで何度もこういう機会はあったのですが、今日初めてほっこりしたんですよね。

 そして、自分の真ん中から、じわじわ〜っと、「ああ、いのちのつながりって、こういう感じなんだね」という感覚が生じてきました。おじいちゃんとおばあちゃんがいて、おとうさんとおかあさんがいて、今ここに私がいるんだ〜〜と。もちろんひいおじいちゃんとおばあちゃん、そのまた・・・おじいちゃんおばあちゃん・・・。

 

 なんか素敵じゃないですか!私、とても素敵だなあと思いましたよ自分で。笑い。

 

 親子三世代で過ごす時間、大切ですね。親と子だけでも十分つながりを感じられるのかもしれないけれど、三世代となると、いのちのつながりは、より強く感じられます・・・。なんかいい。

 私は独我論的(これがすべてというわけではないのですが)な観念が強かったのですね。それはそれで、必要なビジョンというかパラダイムを提供してくれて感謝すべきところではあるんですが、今度は、その・・・世界に登場してきて生きている一人の人として、受け継がれてきたいのちの果実としての私の側面も感じて味わって、ほっこりしていくのもいいんじゃない?そう私の心が言ってます。

 

 この季節、きついですが、健やかで危険がないように祈っています。