敬老の日を前に念う

 緊張しております。本田陽彦です。

 

 来る敬老の日は、私を慈しんで育ててくれた祖父母、また人生の先輩方を尊敬し、感謝する日です。

 そうなんですが、ちょっと余裕がないです!・・・と言いますのも、この日、全国吟詠コンクール決勝大会が東京の笹川記念会館にて開催されます。

 そうなんです。私、出場いたします・・・ドキドキ(心臓の暴れる音)

 

 今年こそは・・・(!!)

 

 私を慈しみ、育ててくださった方々がお元気で、この世にいてくださる間に、私は日本一になりたいと思います。

 

 私はですね、エンターテインメント性にばかりフォーカスすることを嫌っております。

 確かに、舞台を見ていただいてなんぼの世界ではございますが、それは副次的なものではないのか?と私は考えています。

 

 「道」というものは、人間性、人格の向上をその第一とするようでなければならない、というのが私の流儀であります。先日お会いした方との議論のなかでも、この話題になりましたが、人間の器を錬るのが道というものでございましょう。

 

 そして、慈悲と智慧が十分にもたらされるまで、その修習は続けられなければなりません。それを行じることが道であるのではないでしょうか。

 

 吟の道を習うというは、先達の徳と恩を知ることから始めねばなりません。

 吟ずる詩歌を世に送り出してきた詩人たち、吟の伝統をここまで絶やさないように守り続けてきてくださった方々に感謝しなければなりません。宗家、会長の徳と恩は限りがありません。感謝の念いがこころの底から自然に溢れてまいります。

 

 吟道を教えてくれる師がいなければ、吟詠はできません。吟のいろはを教えてくれる人がいなければ、何もできないのです。その存在は、それだけでただ、尊いです。

 私の師は、両親と祖父母の次に長く、慈しみをもって私の人生を見てくださっている方です。そんな師を尊敬して、教えを受けるのです。また、吟の技術はもちろん、人としていかに生きてゆくか、道は通しておかねばならないことを幼いころから教えていただきました。かけがえのないお方であります。

 

 そして、吟道を修習している吟友です。私にとっては人生の大先輩ばかりです。みなさんの先生に対する礼の尽くし方をしっかりと学ばせていただき、人生経験に基づくお言葉で私を導いてくださいました。愛情も溢れんばかりに注いでくださいました。

 

 そんな吟道を歩むことを応援してくれる家族の理解も並々ならぬものがあります。

  

 このように、吟の道を支えている全てに感謝をして、自らの人格を向上させることにこころを向けてゆくことが、吟道であると私は考えています。それが私の流儀です。

 

 そうです。コンクールの結果なんでどうだってよいのです。ただ、吟に関わるみなさまに私が直接的な孝行、恩返しができるとすれば、日本一になることではなかろうか・・・と。

 慈悲を念じて、吟ずることが充分にできたとき、結果はやってくることでしょう。

 

 健やかで、危険がなく、心安らかに、幸せであれかし!