目の前で生き物が苦しんでいるのを見たら、その苦しみを取り除いてあげたいと思う。

 

 苦しみが取り除かれて、楽になった姿をみると喜びが生じる。

 

 それは結構だ。

 

 しかし、皮肉なことに、助けた生き物から、のちに苦しみを与えられることもある。

 

 もっとも、苦しむのは、苦しみを感じる主体が、勝手に苦しむのだが。

 

 抜苦与楽されたものは、苦しんでいたころのことを忘れるのだろうか。

 

 生き物は、ひとたび楽を得ると、苦しかったことを忘れるのだろうか。

 

 自分の楽を確立した生き物は、他の生き物を苦しめてもなんとも思わないのか。

 

 人生は、まことに、不条理である。