秋思

 ご機嫌麗しゅう。本田陽彦です。

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 涼しくなりましたね。朝は窓を開けるとひんやりとした風がすーっと抜けてゆきます。季節は変わっています。

 この季節、なんとなく寂しいです。「古より秋に逢うて寂寥を悲しむ」と申しますが、まさにそうだなあ〜とじみじみ思います。竜禹錫の「秋思」にでてまいりますね。(横に読んで下さいね)

 

  自古逢秋悲寂寥

  我言秋日勝春朝

  晴空一鶴排雲上

  便引詩情到碧霄

 

 以前はですね、この「悲しむ」というところを目の敵にしていまして笑。どういうことかと申しますとね、「悲しむ」っていうのは、「お前さん(私)が勝手に悲しんでおるのじゃろう?」と思っていた(思い込もうとしていた)んです。おそらく、多くの方が「は?なんでそんなことになるの?」とツッコんでいらっしゃると思います。・・・が、これは長らく私の中で問題となっておりました、はい。

 

 私のなかでは、この「悲しむ」といことをしているコイツ(私)が、勝手に悲しんでいるのであって、目の前に広がっている感じられる世界をわがままに解釈した結果、「私は悲しい」といことになっている。このことは長い間、克服されるべき問題だったのです。つまり、「悲しい」と分別する前の段階に本田陽彦はとどまっていなければならぬ!と努力していたわけでございます。

 

 しかし、今日朝起きて清風に当たっておりますと、寂寥を感ずることすらそのままに観ぜられる。それでよいではないか、と思えたのです。うん、いいです。悪くありません。

 

 もしかすると、しばらくして、いや、やっぱりダメだとか言い出すかもしれませんけれども笑。まあ、それはそれとしてよいかな〜。

 

 少し、力が抜けてきた気がします。もっとも、これまでは力の入っていることに気がついていませんでしたから。力が抜けて、力の入っていたことを知る。そんなものかもしれませんね。

 世間はもう、夏休みが終わりましたね。みんな宿題終わったかな。宿題は終わらないけど休みは終わってしまった人も多いのではないでしょうか。

 

 人生、済ませると決めた宿題だけは終わらせて、人生を終えたいものです。

 

 それではみなさん、よい休日をお過ごしください。

 

 健やかで、危険がなく、心安らかに、幸せであれかし!