ステキ女子

 我が家にはステキ女子がいる。

https://www.instagram.com/p/CGBjxS4jRbF/馬さんのママありがとう#平安扣

 うちの家族構成を知っている方はピンとこられたはずである。だが、残念ながら、ちがう。母ではない。ではなくて、私がステキ女子なのではないかと思うのである。

 キモい...と思われた方は、そっとこのページを閉じられたい。

 私の朝はいつもきつい。最近は、肚の底から唸るような声とともに全身の力を振り絞って上体を起こすことから始まる。そして血圧が上がってくるまで、おねーさん座りで5分ほどちゃんこしている(「ちゃんこ」とは、座ることの意味で、子どもに座りなさいというとき「「ちゃんこしよーね」などと私の祖母は言っていた)。・・・アレ、、、全然ステキ女子じゃない。強いていえば座相だけがソレである。

 違う、話はこれからだ。

 私は眠たそうな顔のままマインドフルに洗面所に向かう。“マインドフルに”←ここがポイントである。洗顔と歯磨きをすませると、髪をとかして(最近髪を切ったので、あまりクシを通すところがない)洗濯機を回す。目覚めたばかりのニュートラルなお鼻には柔軟剤の香りがきつすぎる。

 今日は午後から外出なので、朝は部屋着のまま台所へ向かう。紅茶を淹れるためのお湯を沸かす。いつもは水道水なのだが、今日は気分的にDr. Silicaの気分である。抜群のミネラルバランスを備えた某女優も飲んでいるという噂のお水である。お湯が沸くのを待つ間に昨夜のミネストローネを温めてリゾットにする支度をする。どうであろうか、すでにステキ女子の気配がしていると思われる。

 ソファーの方へ目をやると、うちの愛猫、ルーと目が合う。相変わらずかったるそうな面持ちである。ずっと寝ている。朝も昼も夜も寝ているくせに、私が寝るときになると活動を始める厄介な生活リズムを有している。彼女とは生活のリズムが違うのでしばしば衝突することもあるが仲直りするのでご安心を。

 リゾットができた。・・・料理番組と同じく魔法のように出来上がるのである。作り方は来月発売のレシピ本を参照されたい。

 リゾットを運び紅茶を淹れる。「レディグレイ」である。紅茶に ベルガモットオイル、レモン/オレンジピールが加えられた、実にかほり豊かなお茶っぱなのである。実はつい先日、一緒に山に行ったステキ女子が山頂でレディグレイを淹れてくれたのである!山頂で飲むレディグレイのかほりに私はたいそう感激してしまい、思わず「ステキ女子が山頂にきた感溢れてますよ!」などと口走ってしまった。よく考えれば失礼な話である。ごめんなさい(多分ブログを読んでくださるのでこの場をお借りしてお詫び申し上げたい)。かようなエピソードを持ったレディグレイを、めちゃくちゃおしゃれなメンズからもらったマグカップに入れて飲む。「レディ」という名前が付いている時点で、すでにおしゃれ女子である。異論は認めません。

 マインドフルにリゾットをいただいた後、リンゴとキウイを入れたヨーグルトを食べる。デザートというやつである。注目ポイントは、キウイはヨーグルトがかかっていない。綺麗なまま表面に乗っかっている。これは母の作品である。ナマステ。

 そして、この記事を書きながら残っているレディグレイ(しつこい)を飲む。おしゃれメンズから頂いたマグカップは、保温性に優れているのでいつまでもあたたかく飲み物を保ってくれる。ああ、私の心も入れてしまいたい。(参考画像は下。写真の中身はバターコーヒーである←これもおしゃれである)

https://www.instagram.com/p/CDzT0Urjstg/

今朝はこれから☕️#bulletproofcoffee #hydroflask

 しかし、ステキ女子と山頂で飲んだ紅茶はもっとかほり豊かだった気がするのだが、どうしてであろうか。多分お湯の量が違う。山では250ccほどのカップだったのに対して、おしゃれメンズのマグカップは350ccほど入るのである。貧乏性の私はご想像の通りナミナミ入れた。抽出時間を長めにしたのだが、貧乏症がいけなかったらしい。反省。

 さ、気を取り直して、これからビデオメッセージをとろう。私が熱烈に応援している方へのメッセージである。Stay Stylish。冒頭の写真を見直していただきたい笑 ちなみに写真のペンダントは馬さんのママから頂いたもの。謝謝。

 ・・・「これくらいでステキ女子かよ!ちょろいな!」と思われたそこのあなた!今がチャンスですよ(爆笑

ウンとツキ

 最近、どうも調子が悪い。頭の調子は中学生くらいから慢性的に悪いので諦めているのだが、近ごろは身体の調子が悪いのである。しかも私だけではなく、家族や縁ある人々も悪いというのだからコマッタコマッタ。

 「今年はやっぱり厄年やん」と弟が言う。彼もまた不調を抱えている。この時分の青年には色々あるのである。私もそうであった。特に私の時は助走まで付いていたので、前の年から踏んだり蹴ったりであった。思い出すだけでドラえもんを呼びたくなる。

 私の厄年は、ドラえもんではなく、かの天満宮でお祓いをしていただいたのであった。その効果はいま4つくらい感じられなかった・・・。いや、お祓いしてもらったからあの程度で済んだのであろうと拝んでおくべきなのだろうか。

 しかし厄年に限らず、人生にはドラえもんを呼びたくなる出来事が重なって起こることがあるらしい。声の通りのよさには定評のある私であるが、呼んだところでやってくるのは「ついにおかしくなったか・・・」とでも言いたそうな顔をした母だけである。ははは・・・なんちって。

https://www.instagram.com/p/CGAf-t7jgaN/

感じます...か。

 ここしばらくの私は、いわゆるカラ元気というやつで、元気がないくせに元気であるという、カラの元気をブーストさせて前に進んでゆく...フリーエネルギーも腰を抜かすほどの御業である。ただ、この仕組みは社外秘でお見せできないのが至極残念。

 ここ三ヶ月くらいで私は10キロ近く痩せてしまったのであるが、ついに限界が来たらしく、4日ほど前から食べる量が増えてきた。それも健康に悪そうな食べ方をするようになってしまい、今だって2時の方向には煉密かりんとうが控えている。頭が高い、特蜜二度がけ製法である。100g当たり511キロカロリーというバケモノで、180gも入っている。現在深夜1時。デブまっしぐらである。

 

 まあ、よい。(どこが)

 

 そういえば、師匠に「目がにごっとる」と言われた。。。ふむ。。。苦笑 鏡を見て確認したのであるが、一重で細長い目だなあと思うくらいで、別ににごってはいないと思った。心がにごっているのであろうか。私は結構繊細なところがあるので、こう言われるとかなり気にしてしまう。よってその日から疲れ目の目薬を寝る前にポタリとたらし、「キターーーーッ!」と叫んで寝るようにしている。もちろん、心の中で叫ぶのである。

 読者の方はお分かりのように、この記事は全く着地点がない笑。いつにも増して、である。ただ何かを書いているだけでオチも何もない。それでよいのである。

 今度、対面でも画面越しでもお会いする方は、私の目の輝きをよく見ていただきたい。毎晩、織田裕二さんになっている成果が表れているであろうか。

 ただ、下手に褒めすぎるはよろしくない。不憫に思ってそう言ってくれているのだろう・・・などと今の私は思うに違いないのだから。ひねくれているのである。

 

 さて、湯治にでもゆこうと思う。オンラインなんだし、ゼミも会議も研究会も、どこからでも参加可能である。今度お会いするのは浴衣姿のてるてるであるかも知れません。では。

teruteru007.hatenablog.com

  過去の記事、よいことを書いているものである。何も学んでいない私なのであった。合掌。

 

 あ、タイトルと写真はことばあそびである。気づいたよ、という人は教えてください。何かいいことがあるようにお祈りしておきます。そしてぜひ優しくしてください。きっとよいことがおきます。

いのち

 ここのところ、「いのち」に心を向けないわけにはいかない日々が続いている。私の大事な人々のいのち、大事な人々の大切な人々のいのち。そして私のいのち。

 生まれおちたその瞬間から死にゆくさだめにある。“にもかかわらず”、人は生きてゆく。

 いのちのはじめは、支えてもらわなければ生きてゆくことができない。多くの人々の助けを借りながら生きてゆき、いつしかそのいのちも他のいのちを支えるようになる。時には傷つけられ、そして傷つけながらも生きてゆくのである。遅かれ早かれ死ぬことは決まっているのに。

https://www.instagram.com/p/CFu_PFYDqkc/

#彼岸花

 この「“にもかかわらず”生きる」というあり方は、なんとも滑稽であるとは思わないか。静かに考えるときいつもそう思うのである。しかしそれをはるかに凌ぐくらいに、美しく尊く感じるのである。

 すべての生きとし生けるものたちが、健やかで危険のないように。心安らかに幸せであるように。いつまで続くかわからないこの人生が、自他の抜苦与楽の役に立つように。大切な人々が苦しみから離れることができますように。私もまた、解放されますように。 

観照的実践としての吟詠 ――伊都キャンパス“開発”で失われた無数の小さき生命の魂を尋ねて――

観照的実践としての吟詠

――伊都キャンパス“開発”で失われた無数の小さき生命の魂を尋ねて――

 


観照的実践としての吟詠――伊都キャンパス“開発”で失われた無数の小さき生命の魂を尋ねて――

このパフォーマンス・プロジェクトは、Devora Neumark先生と本田陽彦の共同プロジェクトであり、日本の伝統芸能である吟剣詩舞道の「吟詠」によって「地球環境の危機」に直面して生じる深い悲しみの癒しと、母なる地球とそこに住する失われた生命を含んだ一切の生きとし生けるものの安穏の成就を願うものです。

 吟剣詩舞道とは、吟詠、剣舞、詩舞からなる日本の芸道の総称です。詩歌を独特のメロディにのせて朗詠する「吟詠」、吟詠に合わせて刀や扇を用いて舞う「剣舞」、そして扇を用いて舞う「詩舞」は、それぞれの仕方で日本の「道」の心を体現します。

 演者である私(本田陽彦)は20年間修習を続ける吟詠家であり、瞑想者であり、これまでマインドフルネスなどの観照的実践(contemplative practices)に関する研究を中心に行ってきた研究者です。本プロジェクトは、諸縁における私の芸道と学術研究が交差する地点にあたり、観照的芸術(contemplative art)としての吟剣詩舞道の可能性の探究における1つの節目といってよいであろうと思われます。

 この一連のパフォーマンスでは、九州大学伊都キャンパス建設のための“開発”の結果失われることになった無数の小さな生命に対する私の悲しみ、彼ら自身の悲しみ、そして母なる地球の悲しみに癒しがもたらされることが願われています。

 九州大学では2005年から2018年にかけて、日本一のキャンパス敷地面積を有する伊都キャンパスの建設が行われました。この“開発”によって研究環境の充実がもたらされる一方、自然環境に大きな影響を与えることになりました。大規模な建設のために野山は“整理”され、そこに住する諸々の生命はその命と住処を失うことになったのです

 アスファルトで固められた新たな“大地”は、夏になるとその温度が高まり、表面には無数のダンゴムシやミミズの死骸を湧出させます。私は駐車場からキャンパスへ「歩く瞑想」をしながら向かうのですが、その道すがら彼らの亡骸に出会うたびに、深い悲しみと罪悪感が生じ心のなかにながく留まり続けます。その光景は、ちょうど大地が私に大いなる悲しみを伝えているように感じられました。この大地から私に届けられたメッセージは、私の心の深い水位までしみ込んでゆき、「人間による自然の植民地化」とでもいうべき事柄について考えさせるようになりました。

 こうして大学の“開発”が引き起こす無数の小さな生命の死についての出来事は、私の心の中にシコリのように留まり続けました。私は研究に疲れると、しばしば静かな場所を見つけて瞑想をします。すると、時折――おそらく、ある位相に私の心がリンクした時――大地から失われた生命へ向けられた深い悲しみのようなものをキャンパスの下から感じるのです。私はこのような感覚をただ抱えたまま、どうすることもできずに日常を送っていましたが、Devora Neumark先生との邂逅によって解かれてゆくことになったのです。

 Devora先生は、気候の公平性(climate justice)、観照的実践(contemplative practice)とパフォーマティヴ・ジェスチャーに関して、デジタル・アートの可能性を探究する研究者であり芸術家です。彼女との出会いは、2019年8月にアメリカのスミス大学で開催されたThe Center for Contemplative Mind in Society(CMind)主催のサマーセッションでした。現在、九州大学観照的教育学(contemplative pedagogy)とよばれる教育学に関する研究をしている私は、研究の一環でこのセッションに参加したのです。

 観照的教育学は、近年注目が高まっているマインドフルネスや慈悲(コンパッション)などの観照的実践(contemplative practice)を授業に適用し、学生の学びにおける気づき(awareness)を育てることを通してホリスティックな人間生成を教育理念としています。同教育学のメインストリームを牽引するのがCMindであり、毎年開催されるサマーセッションでは様々な専門分野で観照的な教育を追究する研究者が集まり、一週間にわたってそれぞれの智慧を共有し合います。

 Devora先生のワークショップ(“Cultivating Environmental Emergency Responsiveness: Mindfulness and the Practice of Performance Art”)では、地球環境の危機についての気づきと、その現象に直面した時に生じる深い悲しみを癒しながら関与してゆくことについて、アートの観点から議論しました。参加者たちは、それぞれ出会った地球環境の危機と悲しみの経験をシェアし、それに関するアート・パフォーマンスについて議論しました。シェアリングの内容は水に関することや動物に関することなど様々でしたが、彼らはマインドフルに誠実さをもって他のすべての参加者の経験に耳を傾け、彼らの内側から彼らの経験を理解しようとしていました。そのような彼らのオープンさと誠実さ、そして慈しみに満ちた共感に励まされながら、私は先のキャンパス開発の結果としてもたらされた、無数の小さな生命の死のエピソードについて話しました。シェアリングの間に友人たちが流す涙は、私の経験とそれに伴う心のシコリついて回避せずに正面から向きあうことを後押ししてくれました。

 とてもマインドフルで穏やかな、しかし刺激的な日々を過ごした後、サマーセッションの最終日のOpen Micで私は和歌を吟じました。もちろん日本語ですから言葉の意味は伝わりません。しかし、観照的教育学の研究者たちは非言語的に、私の吟詠への“直接的”な経験を通して吟詠を“観照”してくれたのです。それは言語に還元できない、思考によらない“全く異なるモードの知の方法”でした。彼らからのフィードバックは洞察に満ち溢れており、観照的な芸術としての吟詠の可能性を再確認できた重要な出来事となりました。

 そして、それはサマーセッションからちょうど一年が経とうとする頃でした。Devora先生から、自然環境の危機に直面することに伴う心の傷(environmental trauma)――マインドフルネス、レジリエンス、パフォーマティヴ・ジェスチャー――に関して、デジタルアートの可能性を探究する共同パフォーマンスのプロジェクトへのお誘いをいただいたのです。そこで、私の探究する観照的実践としての吟詠を通じて環境問題に伴う深い悲しみ(environmental grief)を癒すことについて本格的に考え始めたのです。

 Devora先生との対話を通して、この悲しみはそれを経験している人間においてのみ生じるものではないことを確信するようになりました。失われた生命はもちろん、私が大地から悲しみの表現――地表における無数の小さな生命の死――を受け取ったと感じたように、母なる大地も悲しみを経験しているのではないかと思うのです。この観照的なアートプロジェクトにおいて、私は自身の経験による悲しみやシコリだけでなく、失われた生命、そして母なる地球の悲しみへと自らの存在を開いて癒してゆく必要がありました。私の存在を明け渡し、すべての苦しみを慈しみのゆりかごのなかに抱きしめることが必要であると直観したのです。

 しかし、このことは今の私にとっては大変難しいことでした。なぜなら、自分を明け渡し、慈悲のゆりかごがそこに生じるためには、私の中の諸々の怒りを手放してゆくことが必要になるからです。大変お恥ずかしいことですが、人間として世間で生きている私はどうしても怒りのエネルギーを抱えてしまいます。そこでenvironmental griefに接近するためには、何より自分の諸々の怒りを手放すことに取り組まなければなりませんでした。つまりこのプロジェクトは、自分の怒り感情を回避することなく受けいれて向き合い、その上で私自身を癒すことから始めなければならなかったのです。このプロセスにおいては心のバリアが緩んでゆき、そこであらわれてきたのは「むき出しになった寄る辺なさ」とでも言うべきものでした。自身の脱構築を繰り返しながら、日を追うごとに自我の枠組みが弛んでゆくことを感じながら、そこに新たな自己が誕生することを願って、できる限り忍耐強く観照的実践に取り組みました。

 また吟詠のパフォーマンスを設計するにあたり、この怒りの手放しと並行して、吟ずる詩の選定をする必要がありました。様々な詩を調べましたが、今ひとつ納得できずに思案していたところ、私の書法の師匠でありヨーガ療法士である木村迦葉先生が次の歌を紹介してくださいました。

 

 「君が行き 日長くなりぬ 山尋ね 迎へか行かむ 待ちにか待たむ」

 

 この歌は『万葉集』に収められた磐姫皇后の作とされた歌です。その解釈には諸説ありますが、一般には恋情における嫉妬の表現と解されることが多いようです。しかし民俗学折口信夫先生の説によれば「山尋ね」は「魂乞い」に関係し、高山へと赴いた死者の魂を尋ねてゆくことであるといわれています。これについての学術的な諸議論はさておくこととして、この折口説に触れたとき、このプロジェクトの重要なピースが静かにはまったような感覚を私は覚えたのです。私はこの心の感覚を大切にすることにしました。そして、私が感じた“心の真実”と“情緒”に全てをあずけて、この歌を私の吟詠の詩とすることを決めたのです。

 パフォーマンス当日まで、私の心の天候は私の目指した寂静からは程遠いものでした。その頃、日本では台風9号と10号により大きな被害が出ましたが、私の心もちょうど台風のように激しく揺れ動き、「観照的に吟ずることができるのであろうか…」と不安をぬぐえませんでした。

 しかし、当日着物に袖を通し、私が“environmental grief”を経験したまさにその場所に立ち、静かに手を合わせて祈りを捧げると、私の心の肌理は徐々にではありますが細やかになってゆき、吟じるごとに自然と慈悲が生じてくることに気づきました。初めは粗かった心も、数回吟じることで微細なエネルギーに変換されるようでした。ついに雑念は滅してゆき、ただ、失われた生命への贖いと弔い、私たち人間と母なる地球の癒し、そして一切の生きとし生けるものの安穏の成就を願う心が柔らかく広がってゆくことを感じられたのです。すべての祈りと吟詠を終える頃には、強くあらわれてくるのは“開発”への罪悪感ではなく、失われた生命を含む一切の生命の幸せを願う心、私の存在をこえ出てゆく淨けさでありました。

 パフォーマンスを終えて日常の生活に戻ってみますと、心の様子は時に以前のように粗くなっていることに気づきます。ちょうどこの文章を綴っている今、私の心を観察してみますと、あの日のパフォーマンスで感じた淨けさはもう消え去ってしまっています。代わりに粗い心の波や、心の奥で諸々の怒りの種が振動しつつあることにも気づきます。このように、パフォーマンスとその経験が私自身や母なる地球をドラマチックに変容したわけではありません。魔法のような奇跡を起こすこともありません。しかしながら確かにあの瞬間、私には癒しと救いがもたらされたのであり、きっと母なる地球も同じように安穏を感じてくれたのではないかと信じています。

 おわりに、このプロジェクトに招待してくださったDevora Neumark先生に深く感謝し、彼女やCMindの仲間たちとの縁をもたらしてくれた私の研究、そしてその研究とCMindのサマーセッションへ導いてくださった瀬平劉アントン先生に心から感謝の祈りを捧げます。そして、この歌につなげてくださった木村迦葉先生、ありがとうございました。また、幼い頃から私を吟詠家へと育ててくださった吟の師匠である齊藤裕晃先生、会長である伊藤晃績先生にお礼申し上げます。この文章を韓国語に翻訳してくださった友人の한수연氏、中国語に翻訳してくださった同僚の馬氏、また映像編集に協力してくださったDESIGN COMMUNICATIONの豊嶋洋平氏に心よりお礼申し上げます。最後に、吟詠の修習を許して支えてくれている家族に感謝します。ありがとう。

 

 このプロジェクトとパフォーマンス作品が諸々の善き因縁となりますように。

 すべての生きとし生けるものは 健やかであり 危険がなく 心やすらかに 幸せであれかし!

 

             本田陽彦(豊陽)

관조적 실천으로서의 긴에이 (吟詠) -이토캠퍼스의 개발에 따라 사라져 간 모든 생명체의 혼을 찾아서

관조적 실천으로서의 긴에이 (吟詠)

-이토캠퍼스의 개발에 따라 사라져 간 모든 생명체의 혼을 찾아서

 


관조적 실천으로서의 긴에이 (吟詠)-이토캠퍼스의 개발에 따라 사라져 간 모든 생명체의 혼을 찾아서

 

 

본 퍼포먼스는 Devora Neumark 선생님과 혼다 테루히코(本田 陽彦)의 공동 프로젝트로서 일본의 전통예능인 ‘긴켄시부’의 ‘긴에이’를 통하여 ‘지구환경위기’에 직면하여 생겨난 깊은 슬픔에 대한 치유 및 어머니인 지구와 그 안에서살아가는 생명체를 포함한 제반 생명의 평화와 안정을 바라는 의미의 퍼포먼스입니다.

긴켄시부도(吟剣詩舞道)란, 긴에이(吟詠), 켄부(剣舞), 시부(詩舞)로 이루어진 일본 전통예술의 총칭입니다. 시가를 독특한 멜로디에 맞추어 낭송하는 「긴에이」, 긴에이에 맞추어 칼 또는 부채를 이용하여 춤을 추는 「켄부」, 부채를 이용하여 춤을 추는 「시부」는 여러 가지 수단으로 일본의 「도(道)」를 표현해냅니다.

공연자인 저 혼다 테루히코는 긴에이를 20년간 계속해 온 긴에이 예술가이자 명상 수련자로서, Mindfuless (명상) 등의 관조적 실천(contemplative practices)에 관한 연구를 중심적으로 수행해 온 연구자입니다.  본 프로젝트는 여러 면에서 저의 예도(藝道)와 학술연구가 교차하는 지점을 맞이하여, 관조적 예술(Contemplative art)으로서의 긴켄시부도의 가능성을 탐구하는 것에 있어 하나의 이정표라고 하여도 무방하리라고 생각합니다.

이 일련의 퍼포먼스가 규슈대학교 이토캠퍼스의 건설로 인한 개발의 결과로 사라져 간 무수한 작은 생명에 대한 대한 저의 슬픔과 그들 생명체들의 슬픔, 어머니 지구의 슬픔에 대한 치유가 되었으면 하는 바람입니다.

큐슈대학교에서는 2005년부터 2018년에 걸쳐 일본 최대의 캠퍼스 부지면적을 가진 이 이토캠퍼스의 건설이 이루어졌습니다. 이 “개발”에 따라 연구환경의 내실화가 이루어지는 한편, 자연환경에도 중대한 영향을 끼치게 되었습니다. 대규모 건설로 인하여 야생의 산은 “정리”되고 그곳에 살고 있던 모든 생명체들은 살 곳을 잃어버리게 되었습니다.

아스팔트로 다져진 새로운 “대지”는 여름이 되면 표면 온도가 높아져서 그 표면에 무수히 많은 공벌레와 지렁이의 사체가 즐비하게 늘어져 있곤 합니다. 저는 주차장에서 이토캠퍼스로 “걸어가며 명상”을 하곤 하는데, 가는 길에 그 주검들을 맞닥뜨릴 때마다 깊은 슬픔과 죄책감이 마음 속에 오래도록 남아 있었습니다. 그 광경은 마치 대지가 거대해진 슬픔을 나에게 전하는 듯 느껴졌습니다. 대지로부터 나에게 전달된 이 메시지는 내 마음 속 깊이 스며들어 온 소위 “인간에 의한 대지의 식민지화”에 관하여 생각하지 않을 수 없게 만듭니다.

이렇듯 대학의 "개발"이 초래한 무수한 작은 생명들의 죽음은, 내 마음에 사라지지 않는 응어리를 남겼습니다. 저는 연구에 지칠 때면 심심치 않게 조용한 장소를 찾아 명상을 합니다. 그럴 때면, 가끔 – 아마도 어떤 위상에 내 정신이 연결될 때- 대지에서 잃어버린 생명에 대한 깊은 슬픔과 같은 무언가를 대지 깊숙한 곳에서부터 느끼는 것입니다. 나는 다만 이러한 감각을 안고 이러지도 저러지도 못한 채 일상을 보내고 있었습니다만, Devora Neumark 선생님과의 해후에 의하여 이러한 감정을 치유할 계기를 만나게 되었습니다.

Devora 선생님은 기후를 위한 정의(Climate justice), 관조적 실천(Contemplative practice), 공연적인 몸짓(Performative gesture)에 관하여 디지털 아트의 가능성을 연구하는 연구자이자 예술가이십니다. 그 분을 만나 뵙게 된 것은 2019년 8월 미국의 스미스대학에서 개최되었던 The Center for Contemplative Mind in Society(CMind)주최의 서머세션에서였습니다. 큐슈대학교에서 ‘관조적 교육학’으로 불리우는 교육학에 관하여 연구하고 있는 저는 그 연구의 일환으로 그 세션에 참가하게 된 것입니다.

관조적 교육학은, 최근 인지도가 높아지고 있는 명상(Mindfulness)나 공감(compassion) 등의 관조적 실천(contemplative practice)을 수업에 적용하여 학생이 배우는 대상에 대한 깨달음(awareness)을 기름으로써 정신적인 인간을 생성하는 것을 교육이념으로 삼고 있습니다. 동 교육학의 주류를 견인하는 것이 CMind이며 매년 개최되는 서머세션에서는 다양한 전문분야에서 관조적 교육을 추구하는 연구자가 모여 일주일에 걸쳐 이런저런 경험과 지혜를 서로 공유하도록 합니다.

Devora 선생님의 워크숍(“Cultivating Environmental Emergency Responsiveness: Mindfulness and the Practice of Performance Art”, “환경적 위기상황에 대한 대응을 일굼: 행위 예술의 연습과 명상”)에서는 지구환경의 위기에 대한 깨달음, 그로 인한 깊은 슬픔을 달래며 관여해 나가는 것에 대해서 예술적 관점에서 의논했습니다. 참가자들은 이런저런 지구환경의 위기와 슬픔의 경험을 공유하고 관련된 예술과 퍼포먼스에 대하여 논의하였습니다. 서로 공유한 내용은 물이나 동물에 관한 것 등 다양했습니다만 참가자들은 주의 깊게 다른 모든 참가자의 경험에 귀를 기울여 그들의 내면을 통해 그들의 경험을 이해하고자 했습니다. 이러한 개방성과 신뢰성, 그리고 자애로운 공감에 힘입어 저는 앞서의 캠퍼스 개발의 결과로 일어난 무수한 작은 생명들의 죽음에 대한 에피소드를 이야기했습니다. 이야기를 듣고 친구들이 흘리는 눈물은 제가 그 경험에 따른 마음의 응어리를 회피하지 않고 정면으로 맞설 수 있도록 지지해 주었습니다.

저는 일주일간 마음이 가득 차고 잔잔하지만 자극이 되는 나날을 보낸 후, 서머세션의 마지막 날에 자유 무대에서 일본 전통노래를 낭송했습니다. 물론 일본어로 된 노래여서 가사의 의미는 전달되지 않았습니다만 관조적 교육학 연구자들은 비언어적으로 저의 긴에이를 “직접적”으로 경험함으로써 긴에이를 “관조”하여 주었습니다. 그것은 언어로 환원되지 않는, 사고에 의하지 않는 “완전히 다른 방법에 의한 지식의 습득”이었습니다. 그들로부터 받았던 피드백은 통찰이 넘쳤으며, 관조적 예술로서의 긴에이의 가능성을 재확인할 수 있었던 중대한 사건이었습니다.

그리고 서머세션으로부터 정확하게 1년이 지나려 할 때, Devora 선생님으로부터 “자연환경의 위기에 직면함에 따른 마음의 상처(environmental trauma) - Mindfulness, 회복력, Performative gesture”에 관한 디지털 아트의 가능성을 탐구하는 공동 퍼포먼스 프로젝트에 대한 권유를 받았습니다. 거기서 제가 탐구하는 관조적 실천으로서의 긴에이- 제가 일본의 주된 영적 전통에서 나온 무심(무신, 無心, wú xīn, no-mind)의 철학을 가지고 고려해 왔던-를 통하여 환경문제에 따른 깊은 슬픔(environmental grief)를 치유하려는 플랜을 본격적으로 짜기 시작했던 것입니다.

Devora 선생님과의 대화를 통하여 이 슬픔은 그것을 경험하고 있는 인간에게 있어서만 생기는 것이 아님을 확신하게 되었습니다. 사라진 생명체들은 물론이고 내가 대지로부터 슬픔의 메시지-지면에 널브러진 무수한 작은 생명체들의 죽음에 따른-을 받았다고 느낀 것처럼 어머니인 대지도 슬픔을 체험하고 있었던 것이 아닐까 하고 생각했습니다. 이 관조적인 아트 프로젝트에 있어 저는 저의 존재를 활짝 열고 저의 경험으로 인한 자신의 슬픔이나 응어리뿐 아니라 사라져 간 생명체들과 어머니 지구를 치유할 필요가 있었습니다. 나의 존재를 내어주고 모든 존재의 고통을 자애의 요람 안으로 끌어안는 것이 필요하다고 직관한 것입니다.

그러나, 이러한 것은 지금의 나에게 있어 너무나 어려운 것이었습니다. 왜냐하면 나 자신을 내주고 자애의 요람을 생겨나게 하기 위해서는 내 안의 모든 노여움을 풀어 주어야 하기 때문이었습니다. 대단히 부끄럽게도 인간으로서 속세에 살아가는 저로서는 불가피하게도 분노의 에너지를 받아들여버렸습니다만, Environmental grief에 다가가기 위해서는 무엇보다도 나의 모든 노여움을 해방시키지 않으면 안 되었습니다. 즉 이 프로젝트는, 나 자신의 노여움의 감정을 회피하지 않고 받아들여 나 자신을 치유하는 것에서부터 시작해야 했던 것입니다. 이 프로세스에 있어 마음의 장애물이 점차 느슨해져 가고 거기서 씻겨져 드러난 것은 소위 “노출되어버린 취약함”이었습니다. 저는 자아의 해체를 반복하면서, 날이 갈수록 자아의 틀이 느슨해져 감을 느꼈습니다. 새로운 자아의 탄생을 기원하면서 가능한 한 인내심을 굳히고 관조적 실천에 임하였습니다.

이 과정을 병행하는 동시에 긴에이 퍼포먼스를 맞이하여 읊을 시를 선정할 필요가 있었습니다. 이런 저런 시를 조사하였으나 적당한 것을 찾을 수가 없어 궁리하던 중 서법의 스승이자 요가 수행자이신 키무라 카요 선생님이 다음의 시를 소개하여 주셨습니다.

 

「君が行き 日長くなりぬ 山尋ね 迎へか行かむ 待ちにか待たむ」

(그대가 떠난 지 오랜 시간이 지났네. 그대를 만나기 위해 산으로 찾아가야 할까, 여기서 기다려야 할까?)

 

일반적으로 이 시는 이와노히메 황후 (磐姫皇后) 가 지은 것으로 알려져 있습니다. 이 시는 오토모노 야카모치 (大伴 家持)가 편찬한 현존하는 가장 오래된 일본 시집인 『만엽집(万葉集)』에 수록된 것입니다. 그녀의 네 곡의 노래는 그녀의 부군에 대한 사랑과 그리움을 표현한 것으로 주로 해석됩니다만, 몇몇 조사가들은 다르게 설명합니다. 일본의 저명한 민속학자인 시노부 오리쿠치 박사에 의하면 시의 내용인 “야마타즈네(山尋ね: 산을 찾다)”는 “타마고이 (魂乞い: 혼백을 청함)”의 의미로 연결된다고 합니다. 즉 대체불가능한 사람의 영혼을 내 곁으로 끌어들이는 것입니다.이 “고이(乞い)”는 “코이 (恋: 사랑, 그리움)”와 연결되어 “그대를 그리워한다”라는 의미가  됩니다. 그래서 더 높은 산으로 혼백을 찾아가는 것으로서 해석될 수 있습니다. 이러한 학술적 연구는 차치하고서라도, 마침내 저는 퍼즐의 마지막 조각을 찾았다는 것을 직감했습니다! 저는 이 직감을 소중히 여겨 이 시로 제 퍼포먼스의 주제를 결정하였습니다. 이 결정은 저의 즉흥적인 “진심”과 “정서”에 따른 것입니다.

허나 퍼포먼스 당일까지 제 마음의 날씨는 제가 목표로 한 수준과 거리가 멀었습니다. 그 때 일본에서는 제 마음을 반영하듯 태풍 9호와 10호로 인하여 크나큰 피해가 속출하였습니다. 저 역시 제 인생에서 복잡한 문제에 직면해 있었기 때문에 때로는 동요하였고 “관조적 긴에이 수행이 과연 가능할 것인가...”는 불안감을 떨칠 수가 없었습니다.

그러나 당일 기모노를 입고 이전에 “Environmental grief”를 경험한 바로 그 자리에 서서 조용히 합장을 하고 기도를 바치니 마음의 결은 점차 섬세해져 가고 숨을 들이쉴 때마다 자비심이 스스로 일어나 내 존재를 강하게 만들어주는 것을 알아차렸습니다. 처음에는 거칠었던 마음도 퍼포먼스가 진행될수록 점차 미세한 에너지로 변환되는 것 같았습니다. 드디어 잡념 대신에 평화로운 고요함이 주위를 감싸며, 저는 사라져 간 생명체에 대한 순수한 속죄와 애도, 우리 인간과 어머니 지구에 대한 치유, 일체의 살아가는 생명체들의 안온의 성취를 바라는 마음으로 가득 찼습니다. 모든 기도와 긴에이를 끝냈을 때, 강하게 나타난 것은 “개발”에 대한 죄책감이 아니라, 잃어버린 생명을 포함한 일체의 생명에 대한 애정어린 동정심이었고, 저는 저의 존재를 넘어선 동정심과 평정심을 똑똑히 목격했습니다.

퍼포먼스를 끝내고 일상 생활로 돌아와서 마음의 양태가 때로 이전과 같이 거칠어지고 있음을 깨닫습니다. 마침 이 문장을 쓰고 있는 지금도, 제 마음을 관찰해 보면 그 날 퍼포먼스를 하면서 느꼈던 동정심과 평정심은 이미 사라져 있음을 알 수 있습니다. 그 대신 거친 마음의 파도나 마음 안의 갖가지 분노의 씨앗이 진동하고 있다는 것을 깨닫습니다. 이렇듯이 퍼포먼스와 자비로운 경험이 나나 어머니 지구를 드라마틱하게 변화시켰을 리가 없습니다. 마법과도 같은 기적을 일으키는 것도 아닙니다. 그렇지만 퍼포먼스를 하던 그 순간, 저는 확실히 치유와 구원을 경험했으며 어머니 지구 역시 동일한 경험을 했을 것이라고 믿고 있습니다.

마치며 이 멋진 프로젝트에 초대해 주신 Devora Neumark 선생님께 깊이 감사드립니다. 그분과 CMind의 서머세션 동료들과 이어준 나의 연구, 그리고 그 연구와 CMind의 서머세션으로 이끌어 주신 세빌라 류(瀬平劉) 안톤 선생님께 진심으로 감사를 바칩니다! 제가 선정한 시를 알려주신 키무라 카요(木村 迦葉) 선생님께도 감사를 바칩니다.  또한 어릴 때부터 저를 긴에이 예술가로 길러 주신 긴에이 스승님 사이토 유코(齋藤 裕晃) 선생님, 그리고 회장님이신 이토 코세키(伊藤 晃績) 선생님께 감사를 드립니다. 이 글을 한국어로 번역해 준 친구 한수연 씨, 중국어로 번역해 준 동료 마 씨, 영상 편집에 협력해준 DESIGN COMMUNICATION의 토요시마 요헤이(豊嶋 洋平) 씨께 진심으로 감사드립니다. 그리고 나의 관조적 여행을 지지해준 가족들에게, 특히 어머니에게 고맙다는 인사를 전하고 싶습니다.

 

본 프로젝트의 퍼포먼스 작품이 이 세상의 행복한 미래를 위한 씨앗이 되기를.

살아 있는 모든 생명이 건강하고 안전하며 평화로이 행복하기를.                                   

                                                    혼다 테루히코 (토요시마) 올림

作为观照实践的吟咏――寻觅在伊都校区的“开发”中丧生的无数小生命的灵魂

作为观照实践的吟咏――寻觅在伊都校区的“开发”中丧生的无数小生命的灵魂

 


作为观照实践的吟咏――寻觅在伊都校区的“开发”中丧生的无数小生命的灵魂

此表演项目是由Devora Neumark博士和本田阳彦共同提供的协力项目。该项目旨在通过日本的传统艺能――吟诗舞剑道的“吟咏”来直面并治愈由“地球环境危机”所带来的悲痛,并为地球母亲以及在此安居的所有生灵的安稳而祈愿。

所谓吟诗舞剑道,乃是从日本的技艺之道中吟诗、舞剑、诗舞中由来的总称。伴着诗歌的独特韵律进行“吟咏”,随着吟咏的节拍来舞动刀或扇的“剑舞”,以及使用扇的“诗舞”,此中种种都体现了日本的“道”之心。

作为表演者的本人(本田阳彦)是20年间持续修行的吟咏家和冥想者,同时是在进行以关于正念等观照性的实践为中心的研究的研究者。此项目是本人的技艺之道以及学术研究的交叉点,同时也可以说是探索作为吟诗舞剑道的可能性的一个重要环节。

我们希望通过这一系列的表演,来治愈心中所怀揣的,因在九州大学伊都校区的开发建设进程中无数小生命的丧生而生的悲伤、以及这些生命自身的悲伤和地球母亲的悲伤。

九州大学在2005至2018年之间,开发建设了拥有日本第一占地面积的伊都校区。托此“开发”的福,学校的研究环境得以更进一步地充实了,然而,与此同时,也给周遭的自然环境带来了重大影响。为实施大规模的建设,周边的山林遭受了“整顿”,原本在这些地区安居的诸多生命丧失了它们的住所甚至生命。

到了夏季,温度上升,从由沥青铺设而成的新的“大地”之中冒出了无数的西瓜虫和蚯蚓等昆虫的死骸。通常,我总是在“散步冥想”的过程中从停车场走向校区,每当我在途中发现这些尸骸时,心中总是不禁升起深沉的悲伤和罪恶感,也因此时常在途中驻足。这一光景总令我觉得,这是大地在向我传达巨大的悲痛。大地向我传达的这一讯息,渗透到我心中的深处,将我的思绪导向与“人类对自然的殖民化”相关的种种之中。

诸如此类的由大学的“开发”引起的无数小生命的死亡,成为了我的一个心结。因研究而疲劳的时候,我常常眺望着宁静的远方而冥想。在这些时候,偶尔,我会感觉到自己的心仿佛在某个位相中被联结,从而从校区的地表下感受到对于被掩埋的那些逝去的生命的悲伤。虽然我总是怀着这样的感情,却总是什么也无能为力地度过日常。直到我邂逅了Devora Neumark博士后,(这一心结)才得以逐渐解开。

Devora博士是有关电子艺术的相关研究的研究者及艺术家。她在着力于探索电子艺术在气候的公平性(climate justice),观照的实践(contemplative practice),以及表演姿势(performance gestures) 等相关方面的可能性。作为自身研究中的一个部分,如今,在九州大学从事有关被称作是观照的教育学的教育学相关研究的本人,出席了于2019年举办的The Center for Contemplative Mind in Society(CMind)的夏季会议,并于此邂逅了Devora博士。

观照教育学将近年来备受关注的正念以及慈悲等观照性的实践运用于授课中,将通过培养学生的在学习中的意识(awareness)来育成全人的作为其教育理念。牵引该教育学的主流正是CMind。在每年举办的夏季会议中,在各自的专攻领域中追求观照性的教育的研究者们于此云集,在历时一周的过程中共智慧

在Devora博士的研习会“Cultivating Environmental Emergency Responsiveness: Mindfulness and the Practice of Performance Art中,从艺术的观点出发,对于地球环境危机的意识,以及如何治愈直面这一现象时的深处悲痛等话题被深刻地讨论了。出席的各位学者分享了各自的相关经验,同时探讨了于此相关的艺术表演。分享环节中有诸如关于水或者关于动物的各种各样的内容,出席者们都怀着诚实的心态,留心地(mindfully)倾听并尝试了去理解彼此的经验。受这些出席者在分享经验时展现的坦诚所激励,我也阐述了之前所说的自身所经历的对于因校区开发而带来的种种的感受。在我分享经历时,在场的各位友人所留下的泪水,给予了我直面这一心结的勇气。

在度过了平和而充满正念,同时又不乏刺激的日子后,我在夏季会议最终日的Open Mic中吟诵了和歌。由于是日语,所以语言层面的意义没有得以传达。但是,观照教育学的研究者们通过非言语的“直接”经验“观照”了我的表演。那是一种无法还原为语言的、不依附与思考的“完全不同的‘知’的方法”。大家在反馈中,体现出了他们深刻的洞察,这令我感受到了吟咏作为观照性艺术而存在的重要可能性。

在此夏季会议的大约一年后的如今,我收到了来自Devora博士的邀请,来协同参与有关“直面自然环境带来的危机时所生的心灵的创伤(environmental trauma)——探索于正念,抵触,以及表演姿势相关的电子艺术的可能性”这一表演项目。在此项目中,我开始了关于通过作为观照性实践的吟咏来治愈直面环境问题时的悲伤的认真思考。

通过和Devora博士的对话,我确信了这样的悲伤并不仅仅只存在于有类似经历的人之中。大地母亲以及那些逝去的生命们恐怕也经历着类似的悲伤吧。在这一观照性的艺术项目中,对我而言,必要的不仅仅是直面自身所感受的悲痛和心结,同时还有直面这些逝去生命以及地球母亲自身,展开自身的存在并将其治愈。我在观照中感受到了,放开自身存在,并以慈悲为怀包容悲苦的必要。

然而,这些对于现在的我来说,想必是极为困难的事情吧。要说为什么的话,那是因为若要心怀慈悲,必先要放下心中的种种怒火。说来惭愧的是,作为人类的本人,无论如何心中总是怀着愤怒的能量。因此要在真正意义上直面环境的悲痛,首先不得不做的就是要放下心中的愤怒。换句话说,在这一项目中,最先要做的就是不做任何逃避地去接纳、直面心中的愤怒。而治愈只有在这之后才成为可能。我在这一过程中尝试逐渐放下心中的障壁,在那之后浮现的便是所谓“毫无掩盖的无依无靠”。然后我不断地重构自身,感受自身的框架随着时间的度过不断地变得松弛,然后祈愿着全新的自我的诞生,我像这样在力所能及的范围内进行了观照性的实践。

同时在设计吟咏的表演时,在放下愤怒的同时来选择吟诗的诗歌也是必要之一。当我在各种各样的诗之中都找不到合适的作品时,我的书法老师,同时也是作为瑜伽实践者活跃着的木村迦叶老师向我介绍了下面的这一作品。

 

「君が行き 日長くなりぬ 山尋ね 迎へか行かむ 待ちにか待たむ」

(君别  日已久 山 迎君去乎 待君归乎)

(距你离开 已过了长久的日子 不知是应当游历山林去见你 还是守着此地待你回来)

 

这首诗歌是收录在万叶集中的有磐姫皇后所作的诗歌。关于这首的解释有多种说法,一般来说,将此作为恋情中嫉妒的表现的解释占多数。但是依据民俗学折口信夫老师的说法,“寻山”乃是与“乞魂”有关,也就是说与寻访去往高山深处死者的灵魂有关。关于这一点,暂且放置学术上的诸多争议,在看到这一解释时我感受到自己已经找到了完成拼图做需要最后一片。我选择听从这一心中的感觉,然后我怀着所感受到的“心中的真实”和“情绪”,决定了将这首诗歌作为吟咏的对象。

可是,在表演的当天之前,我心中的天气和我所期望的寂静相去甚远。当时,日本正经受着台风9号和10号的袭击,我的内心也犹如台风一般激烈地动摇着,对自己是否能观照性地完成吟咏这一点深怀不安。

然而到了那天,当我穿上和服,再次踏上曾经经历自然的悲伤的那片土地上,静静地将双手合十之后,我内心的肌理徐徐地变得纤细,在吟咏中自然地生起了慈悲。起初,心中粗糙的能量也随着吟咏渐渐地转化为了细微的能量。直至最后杂念终于得以消灭,而我变得能够集中于对逝去生命的凭吊之中,并且为我们人类以及地球母亲,乃至所有生灵的治愈和安稳而祈愿。我感受到自己的这一份心渐渐变得柔和然后向四方延展开去。当我完成吟咏之后,感受到的不是对所谓“开发”的罪恶感,为所有生灵及逝去生命而祈愿的心以及而是超越我自身存在的慈悲和平静。

表演结束回到日常的生活之后,我意识到自身的心灵的状态又变得和以前一样粗糙。当我正在为这一段文章执笔时,我观察自身的内心,发现那一天心中所感受到的平和与慈悲也已消失不见。取而代之的是粗糙的内心的波涛以及种种愤怒的冲动。像这样的表演和经验并不能给我自身以及地球母亲带来什么戏剧性的变化。也不会发生什么宛如魔法般的奇迹。然而,在当时的那个瞬间,我确实感受到了能给我的内心带来治愈的安稳。我想作为母亲的地球想必也感受到了同样的安稳吧。

在最后,我想对邀请我参与此项目的Devora Neumark博士和CMind的各位同仁表示深厚的谢意。同时也向给我介绍表演诗歌内容的木村迦叶老师和指导我从事研究并且介绍我参加CMind的夏季会议的Anton SEVILLA-LIU教授、以及一手将我培育成吟咏家的我的老师,齊藤裕晃老师和会长伊藤晃绩老师献上诚挚的谢意。同时也感谢协力于此文章韩语翻译的友人한수연女士,以及协力于中文翻译的同僚马先生,以及协力于视频编辑的DESIGN COMMUNICATION的豊嶋洋平先生。最后,向允许并支持我进行吟咏修习的我的家族献上感谢。谢谢。

愿此项目与表演作品能带来诸多善的因缘。

愿所有生灵 健康安泰 幸福平和

谨启

 

本田阳彦(丰阳)

 

Ginei(吟詠) as A Contemplative Practice: Visiting the Myriad of Souls of Lost Small Lives from the Ito-Campus “Development” of Kyushu University

Ginei(吟詠) as A Contemplative Practice: Visiting the Myriad of Souls of Lost Small Lives from the Ito-Campus “Development” of Kyushu University

 


Ginei (吟詠) as A Contemplative Practice: Visiting the Myriad of Souls of Lost Small Lives.

This performance is a co-project initiated by Dr. Devora Neumark and Teruhiko Honda. It aims to heal the deep grief which arises when we face the "global environmental crisis" by “Ginei(吟詠)". Ginei is a part of “Ginkenshibu”, the traditional Japanese performing art. We wish for the peace and equanimity of all beings, including Mother Earth and lost lives. Ginkenshibu-do(吟剣詩舞道) is a collective term for Japanese traditional art that consists of Gin-ei(吟詠), Ken-bu(剣舞), and Shi-bu(詩舞). "Gin-ei" is reciting poem with a unique melody, "Ken-bu" is dancing to Ginei recitation using a sword and folding fan, and "Shi-bu" is dancing using folding fan. They express and represent the "Do(道)", the heart spirit of Japan in different ways.

As a performer, I (Teruhiko Honda) have practiced Ginei for 20 years and am a meditation practitioner. Additionally, I have been researching contemplative practices, including mindfulness. This project is at the crossing point where my traditional Japanese art practice and academic research meet; it can be said to be a milestone in the inquiry for the possibility of Ginkenshibu as a contemplative art.

This series of performances were done with our devout hope for healing grief, which is for the myriad small lives that have been lost because of the "development" for the huge construction of Kyushu University's Ito Campus: my grief, their grief, and Mother Earth's grief.

From 2005 to 2018, Kyushu University constructed Ito Campus, which has the largest campus area in all of Japan. While this "development" has enriched the research environment, it has had a great impact on the natural environment. Due to the large-scale construction, the natural wilderness was made "sophisticated" and small insects and animals living there lost their homes and their lives.

The new "ground" – with its rugged asphalt surface – rises in temperature during the summer, and an uncountable number of dead pill bugs and earthworms "gush out" from the ground. I always practice "walking meditation" from the parking lot to the campus; now I encounter their corpses along the way. I feel deep grief and guilt, and they keep staying in my heart. Seeing the scene of myriad small insect deaths, I felt as if the earth was sharing with me a deep grief. The message delivered to me from the earth permeated into my heart deeply and led me to think about something that can be called "the human colonization of nature."

The events surrounding the countless deaths of small living things caused by the "development" of our university have left me with a complex set of feelings that were waiting to be healed someday in my heart. But I didn’t know when that day would come. When I feel tired from my research, I find a quiet place and meditate. From time to time – perhaps when my heart would be connected to a certain channel or something – I feel something like deep sorrow for lost lives from the earth, under the campus. I had held this feeling and continued to live my daily life. I didn’t know how to deal with or treat it, but the door to possibility for healing this emotion appeared in front of me when I met Dr. Devora Neumark.

Dr. Neumark is a researcher and artist exploring the possibilities at the nexus of virtual platforms, climate justice, contemplative practice, and performative gestures. I met her at a summer session hosted by The Center for Contemplative Mind in Society (CMind) at Smith College in the United States in August 2019. At the time I was researching a type of pedagogy called "contemplative pedagogy" at Kyushu University, and I participated in this summer session to deepen my research.

Contemplative pedagogy is applying contemplative practices like mindfulness and compassion, which have recently been getting more interest, into the classroom. This education movement aims to foster student's awareness by contemplative practices in their learning experience and help to cultivate their holistic becoming a human. CMind has led the mainstreaming of this pedagogy, and various researchers participate in the annual summer session and share their experiences, wisdom, and questions for a one-week period.

During Dr. Devora's workshop, “Cultivating Environmental Emergency Responsiveness: Mindfulness and the Practice of Performance Art,” participants discussed the awareness of the global environmental crisis, as well as the healing for, and engaging in, the deep grief arising when we are faced with the phenomenon, from a contemplative art perspective.

Participants shared their own experiences of environmental crisis and grief, and generated ideas for performance art gestures or events. The sharing had various contents about water, animals etc.; we listened to everyone’s experiences mindfully with integrity, and tried to understand participant’s lived experience from their perspective. Thanks to their openness, truthfulness, and compassionate curiosity, I was encouraged to share my environmental grief for the death of myriad small insects because of the campus "development." The tears running down my new-found friends’ cheek during my sharing encouraged and help me to face and accept my grief experience, instead of continuing to avoid it.

During the week-long CMind Summer Institute, we enjoyed mindful and calm but exciting days, I demonstrated my Ginei performance, singing waka(和歌), an old Japanese poem at Open Mic on the final day of the summer session. It was written and sang in Japanese, so I imagined that almost all my friends could not understand what I said linguistically. However, my CMind friends could experience my performance nonverbally, and "contemplate" it with their "direct" experience. Their understanding was based on "being mode," "an entirely different way of knowing from the thinking of doing mode” (Williams et al., p.46). It was irreducible to language and intellectual thinking. They gave me insightful feedback; it was a pivotal experience and confirmed for me Ginei's possibility as a contemplative practice.

One year later, Dr. Devora invited me to this co-performance project that aims to explore “Environmental Trauma: Mindfulness, Resilience, and Performative Gestures.” I began to practically create a plan to go about healing the deep environmental grief by enacting Ginei as a contemplative practice, which I had been committing to consider it with the philosophy of Mu-shin(無心, wú xīn, no-mind) from mainly Japanese spiritual tradition. Having some dialogues with Dr. Neumark, I began to understand that this grief does not only occur in the humans and myriad of lost small insects who experienced it, but also in Mother Earth. The feelings I got when I encountered the dead insects at the parking lot were the grief message from the earth, I believe. It is a phenomenon that occurred within my consciousness, but it is my phenomenological “truth.” In this contemplative art project, I needed to open my existence fully and heal not only my grief and "stiffness" from that experience in my heart, but also the lost beings and Mother Earth. It was necessary to surrender myself, my whole existence to something and to let go, then to embrace all suffering in a cradle of compassion.

However, this was very difficult for me. To create space, cradle of compassion, I need to let go of anger in my mind. It is embarrassing, but I as a human being, “inevitably" have the energy emotion of anger. To approach to heal the environmental grief, I had to engage with letting go of my anger above all else. This project had to start by accepting and facing my feelings of anger without avoiding them, and then healing myself. In this process, the barriers within my heart were loosened; what appeared then was something that could be said to be "bare vulnerability." Engaging deconstruction of the "ego" again and again, I felt that the framework of the ego loosens with each passing day. I kept patience and contemplative practice as much as possible, hoping a new "self" would be born there. To design the Ginei performance, I had to select the poems in parallel with the process of letting go. I researched various poems, but I could not find suitable one. My teacher of Japanese calligraphy, Kayō Kimura, who is also a yoga practitioner, told me this poem.

 

Kimi ga yuki, ke nagaku narinu, yama tazune, mukae ka yukan, machini ka matan”

 (It's been a long time since you had gone. Should I visit the mountain to go to meet you, or still wait here?)

 

Generally, it is said that this poem was written by Iwanohime no Ōkisaki(磐姫皇后).This poem attributed to Iwanohime is collected in the "Man'yōshū(『万葉集』)", which is the oldest existing collection of Japanese poetry by Ōtomo no Yakamochi(大伴家持). In dominant interpretation, her four songs she expressed love and longing for her husband. However, some researchers show different explanations. According to Dr. Shinobu Orikuchi who was a famous Japanese ethnologist, the phrase "yama tazune"(「山尋ね」, yama(mountain) tazune(visiting)) is related to "Tama goi"(「魂乞い」, (tama(soul) goi(begging): To draw the soul of irreplaceable person to near my existence. This "Goi(Koi)" is related to "Koi"(「恋(love, miss) 」: I miss/love you. Accurately, it is said that both "koi" are different in its pronunciation. So, it could be interpreted as visiting the soul for the higher mountain. Aside from the academic discussions on this, I felt that finally I could find the last piece of the puzzle! I decided to cherish this intuition and choose it as my performance theme. This decision was obeying the spontaneous "truth of my heart" and "情緒 (jōcho),” which is a nuanced word that I cannot easily translate in English. The closest I might come would be something like an emotion or atmosphere.

Until the day of the performance, the weather in my mind was far from the tranquility I aimed at. At that time, powerful typhoons 9 and 10 caused heavy damages in Japan. It seemed as if it reflected my mind because I had so complex problems in my life. I sometimes lost mindfulness, and I was worried "Can I accomplish my work contemplatively?"

However, on the day of our performance, I wore the Japanese "Kimono" and stood at the very place where I experienced the “environmental grief” and quietly join my palms together and prayed. Then I felt changing texture of mind, from rough to subtle. I noticed that compassion naturally arose with in each intake of breath, and gradually enhanced my entire being. At first, the energy was rough but was converted into subtle as performance deepened. At last, the peaceful calmness appeared instead of distractive thoughts, and I was filled with pure redemption and mourning for lost all beings, healing for us all human beings and Mother Earth, and wishes for peace and tranquility to all living beings. These energies were softly expanding from inward to outward. At the end of the praying and Ginei performance, what strongly manifested was not the guilty of the "development" but loving-kindness, compassion for all beings "existing" in any dimensions. The compassion and equanimity were beyond "I”, and “I" witnessed the process, phenomena.

After the contemplative performance, I returned to my daily life and found that my mind was far from subtle. Writing this essay, I observe my mind and I notice the feelings, compassion and equanimity that I had felt in that day, have already disappeared. Instead, I know the rough waves of mind and seeds of anger vibrating at the bottom my consciousness. Like this, the performance and compassionate experiences have not dramatically transformed myself or Mother Earth completely. It did not cause magical miracles to the world. However, at that moment during my performance, I realized and witnessed that healing and redemption were brought to me. Additionally, I believe that Mother Earth would have felt the same peace.

In closing, I am deeply grateful to Dr. Devora Neumark for inviting me to this fascinating project. I appreciate my research led me to her and the summer session of CMind that connected me with Dr. Neumark and other friends. I would like to extend my heartfelt gratitude to my professor, Dr. Anton SEVILLA-LIU who led me to the summer session! I would like to send my graditude to Kayō Kimura-sensei who told me about the poem that I sang. I would also like to thank my Master, Yūkō Saitō-sensei who raised me into an artist from my young age, and thank the Grand Master, Kōseki Itō-sensei. I would like to express my sincere gratitude to my friends Ms. Soo Yeon Han and Mr. Ma who translate this essay into several languages. Thanks to Mr. Yōhei Toyoshima, DESIGN COMMUNICATION producer, who cooperated in the video editing. And I want to say "arigatō", thank my family supporting my contemplative journey... especially my mother.

 

May this co-project and co-performance be good seeds for the great future in the world.

May all living beings be healthy, safe, peace and happy! I always pray for you!

 

Contemplatively yours,

Teruhiko Honda