ちいさな読者

 こんにちは。またまた更新が空いてしまいました。皆様お変わりなくお過ごしでしょうか?気づけばコスモスが彼方此方に咲いています。

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 私はこの夏、大変有意味な経験を重ねることができるご縁を沢山いただきまして、大満足しております。詳しくは追って綴ることにして、今日はこのブログについての嬉しいご報告を!

 実は先日、このブログを読んでくださっている可愛い小学生の姉妹がいらっしゃることを知りました。彼女たちは吟剣詩舞道の修習をしていらっしゃるのですが、まさかこれほどお若い方達が、このブログを読んでくださっているなんて・・・!!とても嬉しかったです。

 この嬉しい知らせは、同時に、記事の内容と記述の仕方についての責任を私に自覚させます。そして私の綴っていることが、読者の方々にとっての、そして世界にとっての善き因縁となりますように願っています。そのためにも私は正しく精進せねばなりません!

 それではよい週末をお過ごしください。

 健やかで、危険がなく、心安らかに、幸せであれかし!

どうやら世界が好きらしい。

 この世界に対する慈悲の心が突然じわじわと湧いてくることがある。

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6月に訪れれた五島の海。美しかった。今の私の心のようである!

 世界が幸せでありますように。世界から苦しみが消えますように。苦しみが少しでも軽くなりますように。幸せが少しでも増えますように。

 人間も、その他の動物も、植物も、一切の生命は幸せでありますように。心の、身体の、すべての苦しみから離れて、安穏でありますように。

 私はこの世界を愛しているのだと思う。「私はこの世界を愛しています」と日頃から意識しているわけではない。むしろ「私は世界があまり好きではない」人間なんだという自己認識である。しかし、最近はよく生じてくる、この突如として湧出する世界に対する慈悲の心に、「ああ、私は世界が好きなんだな、愛しているのだな」と自覚するのである。

 ここでいう世界というのは、何の気なしにいうところの世界であって、私が生まれてくる前からあって、私が生まれてきて他者と出会うと考えられているところの世界である。世界は虚構だ(だが、それが確かなものであるように続いていることに驚かされるのだが)。そんなことをしみじみ感じているのに、それでも、やっぱり、世界が好きらしい。

 もちろん執着があるから。でも、本当にそれだけなのだろうかと最近思う。執着以上の・・・なんと言えばいいだろうか。それを超えたところからの慈しみか。そう夜中に思いながら煌めく星を見上げれば(といってもネオンまじりであるが)、こんなに世界は美しかったかと思うのである。

 今年だったか去年だったか、正月あたりに私の恩人であり友人から、「今年の目標は何か」と聞かれ、「世界を救うこと」のようなことを答えた記憶がある。そうはいったものの、一体この私に何ができるのであろうかと、自分のちっぽけさを感じることもあった。しかし、つい先日、私の敬愛する大先輩の心における過去との和解に私の存在が貢献していたということを聞いて、とても嬉しかった。私が生きている意味はあるのだなと思った。ありがたい。私は他者から恵みを授けてもらってばかりだと思っていたのだが、存外、役に立っているところがあるのかもしれぬ。それが大切な人の役に立っていれば、なおのこと嬉しいな。

 そうそう役に立つといえば、私の弟である恭裕が、8月から日本語パートナーズとしてインドネシアへ旅立つことになっている。彼も非常に未熟であるが、自分の身をもって立派に人の役に立つことをしようとしている。私は直接的に役立っていることを実感する場面が少ないので、このような形で直接的に人と関わり、何かを伝えてゆくことに憧れのようなものを感じなくもない。向こうで成長して帰ってくる時には、私が憧れるような人格を生成してくれていることを願っている。

 最後はアニキ風を吹かせてしまったが、弟をやや誇りに思う日がくるとは・・・笑 おそらくこのブログを読むであろうから、兄上のお気持ちに応えんと精進していただきたいものである。明日あたり、スリ防止にボディバッグを一緒に買いに行こう。

夜虫

夜もそろそろ明けてこようかという時間である。実は明日発表せねばならないが原稿がまだできていない。一度寝て、今起きだして再び書かんとしているところなのであるが、筆ならしにブログを書いているという逃避型とも言える行動である笑

ここのところ忙しかったし、週末は全て行事に費やされていたので仕方がなく、このようになることは予想されていた事態ではあった。しかし、もう少し何かできたのではないかと自省している午前3時である。まあ、反省はこのくらいにして、何か書いてみたい。

実は、私は諸々の変化について、例えば四季の移ろいなどには敏感な方だと思っていて、微細なものであれ変化を感じるとそれを丁寧に味わって過ごしている。私の師匠は修行中に「季節は変わっています」とよくおっしゃっていた記憶があるのだが、そのせいか季節が大きく変わりつつある時にそれを掴むように私もなっていったようである。

そんな日常を生きているので、変化の中でも割と大きなもの、「紫陽花が今日から咲いた」とか「今日から蝉が鳴きはじめた」とか、そんなことをリアルタイムで記事にしたいと思っていたものの、忙しさにかまけて実行できていなかった笑 それでこのタイミングで、全ては過ぎ去った話であるが、少し書いてみたいと思ったのである。

我ながらズボラであると思うのが、書こうと思ったことはメモするとか、カレンダーに印をつけるとかしていれば、振り返って記事を書くことができるのにと思うのであるが、そんなことはしちゃあいない。私からすると、そんなことは馬鹿げていて、その瞬間を満喫して味わい尽くすことに人生の全てがかかっていると言えるからだ。完全な言い訳である。汗

そういえば、最近言われた言葉で嬉しかったことがある。「本田さん、雰囲気が変わった」というものだ。どう変わったのかとやや不安になったが、「良いように変わった」とのことで一安心。「何か目指すものがしっかりと定まって、軸ができた感じ」というお話であった。

この種の話は、通常の私であれば「そうなのかー」くらいに流してしまうところなのであるが、おっしゃった方が私の敬愛する人であったために、それはすぐさま流れては行かず、ずっと留まり続けている。どう変わったのかしら?何が定まったのかしら?・・・もしかすると、意識に上ってきてはまだいないところで、いのちが掴んだものがあるのかもしれないなと思ったりもする。なんだが元気が出る話である。

最近の私は、結構開かれていると思う。人付き合いがある。笑。なんだそんなことかと思われたかもしれないが、私にとっては大きな変化なのである。友人と進んで食事をすることもあるし、縁ある人々と親密な時空を共有することだってある。これまでにはない変化である。

そんな時間が増えると、「ああ、人間って社会的な間柄的な生き物だなあ」なんてしみじみと思うものである。そして、他者の経験の厚みが増すと、人間って案外同じことで悩んでいるものだなと思うし、そこに思いやりが生まれてくる。そして親しい他者と交わることによって、私の型は揺らぎ、その揺らぎは内的な深い想いをも揺らがす。それによってこわばりは解け(その逆もあるが)浄化される。もちろん、直接的に想いに触れることを自他において許した場合に、であるが。

ああ、そろそろ本業に戻らねばならない。まだまだ書いていたいというお気持ちが溢れているのであるが、このお気持ちを維持しつつ、原稿を書いてゆこうと思う。

では、お休みなさい?笑

青年吟剣詩舞道研修会

 みなさん、三連休をどのようにお過ごしになりましたか?

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 連休明けの今日は、なんとなくお仕事や学校に行きたくないなあという気持ちになったのではないでしょうか笑 連休中、心身ともに緩めることができると、スッキリした状態で頑張ることができますね。あいにく私はスッキリできずに週明けを迎えてしまいました汗。

 さて、実は先月末、成田で開催された青年吟剣詩舞道研修会に弟と参加しました。これは公益財団法人日本吟剣詩舞振興会によって開かれた研修会で、18歳から35歳までの全国の吟剣詩舞道家たちが斯道の研鑽のために集いました。一泊二日の研修で約80名が参加しており、吟剣詩舞振興会の役員による講義、ヴォイストレーニングとフィジカルトレーニングの外部講師による講義、吟と剣詩舞の二手に分かれたそれぞれ一流の指導者たちによる稽古が主な内容でした。また、三年後の吟剣詩舞の展望とそれに向けた計略についても議論しました。

 私は日頃、同年代の吟剣詩舞道家と交わりを持つ機会が少ないため、この道を歩んでいる人々と実際に出会い、話をすることができたことは大変面白かったです。(私の場合)吟詠はどうしても個人の営みになる傾向があることに加え、私は修行論の観点から吟道の修習をしているので、共同性の部分をさほど意識していなかったのですが、今回の彼らとの対話をもって、私も吟剣詩舞共同体の成員としても考えてゆく必要があるな・・・と感じました。また、現在の吟剣詩舞界における私の立ち位置(無論、序列ではない)を確認できたところもありました。

 吟剣詩舞道の普及に向けて様々な試みが精力的になされていることから、若手のスターも次々と生まれて、これからますます魅力的な世界が深まることを皆で願いました。

 世間においてこの道が広く知られるということは、様々な伝統芸能と「吟剣詩舞道」とが出会うこと予想させます。その出会いにおいて私が心配しているのは、吟剣詩舞における(このような言葉をあててよいならば)哲学の部分の弱さです。

 戦後の吟詠の大衆性、娯楽性、音楽性。これらの追求は、吟剣詩舞の舞台芸術の発展に大きく寄与しました。私はこの発展がさらに変容し高まっている現代において、この道に関わることができて非常に嬉しい。しかしその反面で吟剣詩舞道の厚みが痩せてしまわないであろうかとも心配しています。これもひとえに吟剣詩舞道への想いから。

 私たちは刺激的で華やかであるところに惹かれます。これはこれでとても素晴らしいことです。しかし同時に、その奥に、その先にある何か・・・それを私は追究したいと考えているわけです。

 吟道は大衆性、娯楽性、音楽性・・・これだけなのでしょうか?これらに還元できないところの何か・・・これを超越性と呼んでよろしければ、そのような奥行き、厚み。それを描きたいと私は思うのです。

 私はこれまで、吟詠のコンサートや講演で斯様な話をすることはあっても、これは私個人の流儀であり共有するのは余計なことであろうと思い、吟剣詩舞道家に対して話すことはありませんでした。しかし今回、少しだけですが私の想いを言葉にしてみたところ、少数ですが関心を向けてくださる吟剣詩舞道家がいらっしゃった。これは大きな驚きでしたし、嬉しかった。

 修行者としての私と、世俗的(笑)芸道の修習者(実は芸道と修行は不可分だが、この話はいつかまた...)としての私。前者は孤独でよろしくても、後者は孤独だと寂しいものです。対話できる相手がいるということは、それだけで嬉しく幸せなことなのだなと思いました。それは吟剣詩舞道以外の文脈でも同じであり、交わりをもってくださる方々、対話してくださる方々の存在に改めて感謝をして、皆様の幸せを念じます。

 今週末は大分でコンクール。慈悲の心を立てて、作者の心の営みが現前することのできる場が生じますように。

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 健やかで、危険がなく、心安らかに、幸せであれかし!

    本田陽彦 拝

梅雨入りしましたね(←普通…)

 こんにちは。昨日から福岡も梅雨入りしました。例年よりも遅い梅雨入りですね。みなさま、お変わりなくお過ごしでしょうか?

 今月は誕生日にお祝いのメッセージなどをいただきありがとうございました。この場をお借りして、改めてお礼を申し上げます。

 私、梅雨生まれのくせに、この時期がそれほど得意ではありません笑。中国人の友人は「太陽おじさん(太阳公公)が出ていないと機嫌が悪い」と話すのですが、確かにお日様が出ていないとお気持ちに影響しますね。梅雨だからこそ見ることができる美しい風景にも、また出会うのですけれどね。

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 今年の紫陽花は水不足だったかしら?月初めくらいから咲き始めていましたからね。「紫陽花って、外で見るものだと思っていました」とある方がおっしゃったのですが、家の中に招いても存在感があり良いものですね。

 話は変わりますが、実は毎年6月になると、身内が病気になったり入院したり、何かしらのイベントが起きるんですよ。もれなく今年も汗。

 みんなが生きている間に、できることを、大切に、丁寧にやっていきたいと思っています。私の命根の尽きるまで。

 

 健やかで、危険がなく、心安らかに、幸せであれかし!

 

真夜中のコカ・コーラ

 皆さん、コカ・コーラをご存知であろうか。「こっかこーらをのもーおよ」という歌のアレである。

 私はたまに猛烈にコカ・コーラを飲みたくなる時がある。何かどうにもならないような感覚に圧倒されている時、「『シュッ』っとしたくなる」のである。その「シュッ」を提供してくれるのが、コカ・コーラなのである。

 今夜も「シュッ」としたい気持ちが心に生じつつあるのを自覚して風呂に入ったのであるが、その気持ちは風呂を上がって髪の毛から順に身体を拭く時になっても心の中に居続けていた。今日の私はまだ目を通すべきものが残っているので、すぐに寝るわけではない。そこで、気分転換を兼ねて「ちょっとそこまで買いに行こう」と背中を拭きながら決意したのである。

 ちょっとそこまで、と言うのは歩いて100メートルくらいのところにある自動販売機ある。深夜であることに加えて、店員さんに「コーラください」と言うわけでもないのだから、そんなに洒落て行く必要もなかろうと思った私は、連休に家族が買ってきてくれた1,290円という特別価格の七部丈くらいの”ユニクロのズボン”を履くことにした。もちろん下着も履いている。

 上には何を着ようかと衣装部屋(我が家には衣装部屋があるのである)のタンスを開け閉しめした。外に出るのだから”おかしくないもの”をと思って半袖のプリントTシャツを触ってみたが、「どうせ汗が出てくるのに。もったいない」とケチくさい考えが心に生じたので、隣にあった父が着古したであろうヨレヨレのTシャツを着ることにした。

 小銭入れをユニクロのズボンの中に入れて、髪も乾かさず、手に持ったタオルをぶらぶらさせながら家を出た。そういえば一日中家の中で作業をしていたので、外に出るのは今日初めてだなと思いながら、遠くに光る赤く塗られた自動販売機までトボトボ歩いて行った。我が家は閑静な(田舎という人もいるかもしれないが閑静な)住宅地に位置しているので、街灯もほとんどなく、闇の中に大きな男が一人、風呂上がりの汗をぬぐいながらコカ・コーラを求め歩く光景は非常に怪奇に映るであろうと思う。

 5メートル手前に来ると、夜虫たちが群がっているのがわかる。どうやら彼らもコカ・コーラが欲しいらしい。私は徐に小銭入れをユニクロのズボンから取り出し、160円を入れた。普段、自動販売機で買うことが少ないので初めて知ったのだが、今時の自販機は投入金額が販売金額に達するまでは該当ボタンが光らない仕組みになっているらしい。「その程度じゃ、コカ・コーラはやれねぇなぁ」と言われている気がした。

 無事に機械の許しを得ることができ、ガタンとボトルを落としていただいた。私はボトルを取り出すと、次に「おつり」のフラップに手を伸ばしていた。”ちょうど”の小銭を自分で入れたのに、である。「ああ、何やってんだろうな」となんとなく情けなくなり、それくらいには疲れていることを自覚したので、「コカ・コーラを飲んで今日は寝よう」と思いながら、ヒンヤリとしたコーラの感触を愛でつつ、家に帰ったのであった。この時には「シュッ」を求める気持ちはどこかへ行ってしまっていた。

 玄関の鏡に映った姿は、ヨレヨレのTシャツに濡れたままの髪の男で、誰にも合わなくてよかったなと、コーラを飲みながらつくづく思うのである。

宇宙の中の私

 こんばんは。連休明け最初の1日。皆さんいかがでしたか?

 私は身体が緊張しているのを感じながら過ごしました。そんな時は自分で緩めるのもいいですが、信頼する専門家に診てもらうことにしています。その方が自分でやるよりも手っ取り早かったり、自分が気づいていないところを指摘してもらえたりしますから参考になります。

 さて、実は先週の土曜日くらいからやけに心がざわついているのを感じていました。何かおかしいなあと思いながら過ごしていたのですが、昨日何気なく月齢カレンダーを見たら新月前後だったのですね。もしかするとその辺りの影響もあるのかしらと思ってみたり。

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 やっぱり地球で生きてますからね。月とか太陽とかと一緒に宇宙の中にあるわけですからね。影響を受けているんだろうなと思います。油物を食べたりする方がもっとダイレクトにくるんでしょうが笑

 大きな視野を持って、宇宙の中で生きている、生かされているんだという想いで過ごしてみますと、1日の感じ方が変わるものです。私自身も宇宙に向かって影響を与えているんだなということも感じてきます。だから、できる限り周りを苦しませないように、できれば楽を分け合うことができるように生きてゆきたいものですねと思いました。

 なんだか身体を緩めてもらったからでしょうか。穏やかで、心地よいです。この文章を書きながら、そして黙読しながら、さらに心地よさが広がってゆくことを感じます。

 この静かな安らかさが皆さんにも届くといいなと思います。(写真は瀬高の本坊庭園。こんなところに将来は住みつつ修行したいなと思いました)

 健やかで、危険がなく、心安らかに、幸せであれかし!