安らかで幸せでありますように。
こんにちは。本田陽彦です。
ブログの更新が空いていました。
実は先月末、高野山へ行ったのです。紅葉がまだ残っており、綺麗でした〜!宿坊に泊めていただいたり、朝の勤行に参加させていただいたり、、、貴重な経験ができました。声明の響きには心惹かれました。
そしてなにより、かけがえのない、人との出会いがありました。私の人生において、おおきなインパクトが起こったような感じです。
ところが、、、帰ってきてから高熱と下痢にしばらくの間苦しんでいました。何も食べることができず寝たきりの生活でしたので、体力と筋力が落ちています。。。おかげさまで、随分回復していますが。
久しぶりに外に出ましたが、外がすごく寒くなっていることに驚いています!私が寝ていた間に、すっかり季節は変わっていました。皆さんはお変わりなくお過ごしでしょうか。
今日は3ヶ月間続いていた調査が一区切りつきました。何かが終わると寂しさを感じますね。寂しさを抱えたまま、見守っていてあげようと思います。
私はこの3ヶ月間、貴重なご縁をいただいていました。私は水曜日が終わり、次の水曜日が来るまで、出会った人々が安らかで幸せでありますようにと祈っていました。おそらく、それはこれからも続きます。
心が優しい人々であることを知っているから、自分を責めて苦しまないように、自分をいじめることから離れられるように、、、このように祈りながら、私はこの想いをしっかりと保ってこれからも過ごします。
ちょうど私が彼らに出会ったころ、私はとても苦しかった。だから余計に彼らの苦しんでいることを感じ取っていたのでしょう。
私は彼らが実践するのと同じ仕方で自分の苦しみに寄り添いました。調査とはいうものの、自分自身のために、自分の憂い悲しみを取り除くために、乗り越えるために、同じ場所で時間を過ごしたのです。
今日で彼らと会うのは最後でしたが、これからも私は彼らに慈しみの心を向け続けたいと思いました。胸の奥かどうかはわからないけれども、彼らの深いところにあって、自身では未だ気づいていないであろう輝きに触れさせてもらう体験をしたからです。
どれくらいの時間がかかるのかはわかりません。自分をゆるして、そしてゆるめて、しなやかさを取り戻すときがくることを私は願っています。もちろん私自身も。
他人がエゴイストだというくらい、自分のためにケアしてあげる。自分を裁くことは他者がいくらでもやってくれるのだから、私一人だけは自分のために全面的に味方して守ってあげていい。そう私は思います。
そういえば、大変興味深い方と知り合いました。世の中、どこでどんなことに遭遇するのかわかりませんね。
健やかで、危険がなく、心安らかに、幸せであれかし!
花びらが閉じる日もあっていい。
こんにちは。本田陽彦です。
数日の寒さと雨で体調を崩す人が周りに増えた感じがします。皆さんは大丈夫ですか?
私が最近知った心理療法で中丹田を意識して行うものがあるのですが、それを実践したときに気づいてしまったんです・・・
私、ハートを開きっぱなしだなと。
中丹田はちょうど胸の真ん中あたりを指すのですが、そこに蓮の花のイメージを起こします。そして、花が開いている状態で世界と、自分の大切な人とつながっているイメージへと繋げてゆきます。
今度は、自分のために蓮の花を閉じなければならないときはどんなときなのか考えます。そして、ゆっくりと蓮の花を閉じるイメージをしてゆくのです。
このとき、私の中にあるイメージが立ち上がってきました。それは、蓮の花びらが観音さまの手になり、その中に私は坐っているのです。その私を観音さまの手が包み込んでゆきます。包まれたとき、守られている感覚、安心している感覚が感じられました。
そして気がついたのですよ。どんな人にも蓮の花を開いたまま接していたんだな〜と。それは大切なことなんですけど、自分を大切にしていないときもある。自分を傷つける人に対しても開いている必要はないんです。しっかりと閉じて、自分を守っていいんです。
風雨が過ぎ去っていった後で、ゆっくり花を開いてゆき、それからまた大切な人たちとつながっていけば、それでいい。
その方が、きっと私を生きているいのちは輝いているんだと感じました。花を閉じる前につながっていた人と、閉じた後につながる人は違っているかもしれません。もしかしたら、人の数が減っているかもしれません。もちろんイメージのなかで。
でも、それでいいんじゃない?
そう思えたので、これから私は花を閉じていることも学んでいきます。
いのちが輝くことが幸せなんじゃないかな。もっと自由になっていいんだよ、と言われた気がします。
健やかで、危険がなく、心やすらかに、幸せであれかし!
怒って何が悪い?
おはようございます。本田陽彦です。
私はたまに、「こいつは腹がたつな」という思いがグツグツ〜っと湧き出てきます。怒りの感情です。
でも経験として、この思いというものは私が努力して生じさせたものなどではなく、勝手にあちらの側から湧き出でてくるものだと知っているので、怒りの思いをそれ以上育てることは稀になりました。
しかしながら、どうしても身体には爪痕を残しているもので、胸のあたりや背中を中心に、身体全体に不快な感覚が広がってゆくのを感じます。
そして何となく心の方もどんよりと暗くなった気がして、ああ怒りの感情の結果なんだなと振り返るわけです。
だからどうしたというわけではなく、いや、どうにかしようとしても何とかなるわけでもないようですから、そっとしておくしかないようです笑
ただこの状態をも私というものの一つの様相であるとして、そこに良い悪いの分別を挟まず、ただそういうものだとオープンハートな姿勢で生活に戻るのが自然なあり方なのではないかと近頃思います。
以前は、この怒りの思いを何とかして根絶やしにしてやろうという勢いを持ってやっていたのですが、これは思いに対する敵意であり、すでに怒りながら努力するのですから、初めから検討外れなことを熱心に努め励んでいたわけです笑
この姿勢は今の時点での私にとって、もっとも適当なものであると思うに至ったので、ここに綴りました。
健やかで、危険がなく、心安らかに、幸せであれかし!
私にとっての朝
こんばんは。本田陽彦です。
寒くなりましたね。大学の帰りに雷山千如寺にまわって紅葉をみてきました。観光雑誌に載っている風景って、実際にあるんですね!笑 私が着いたのが4時半で、5時閉門でしたからバタバタお参りしてきました。
11月後半といえば、布団から出るのイヤイヤ病が流行る季節です笑 それでも起きてコーヒーを淹れてみると、勢いよく立ち上る湯気に心がひかれてゆきます。この寒さがあるからこそ、こんなに美しい湯気に出会うことができるんですよね。なんだか嬉しくなります。
そうそう、先日、ふと気がついたことがありました。私、朝が来ることについて、ネガティブな思い込みがあるみたいなんです。
寝る前に、朝が来ないでこのまま死んでしまうとしても構わないぜっ!という気持ちになって眠りにつくというのが私の夜の決まりごとなんですが、自分を見つめているうちに、朝が来るのを拒んでいるような心も同時に存在していることにも気がついて。
私は高校時代に起立性調節障害と診断され、朝は血圧が低くて起きるのに相当苦労しました。というより起きることができなかったのですよね。ですから、起きられない朝がやってくることを疎ましく感じていたのでしょう。
そんな生活が長く続いていたものでしたから、だんだんと意識の深いところまでその思いが達していたみたいで、朝に対してネガティブなイメージが構築されていたみたいなんですよ。
でもね、朝っていう時間は清々しいひとときでもあるはずなんです。酸素がたっぷり満ち溢れていて、これから世界が動きだす時間。今の季節だと冷たくて、でも清らかな空気を胸いっぱいに吸い込むことができます。素敵じゃないですか!
こんなキラキラした朝を嫌がってる私はもったいないっ!と思ったのです。
じゃあ、どうやってポジティブなイメージを朝に重ねていくか。いろいろ考えました。朝、音楽をかけながら、美味しいお茶かコーヒーを淹れて〜とか、ハリウッド映画に出てくるような雰囲気で朝食をとってみたり〜とか。
しかし、そんなことでコロンと変わるような私の思い込みではないようで笑。手強いですね。それでも、思い込みがあったんだということに気がつくことができたので、それはそれだけで大きな変化でした。
朝が私にとって、これからどんな様子に変わっていくのか、思い込みも含めて見守っていきたいと思っています。
健やかで、危険がなく、心安らかに、幸せであれかし!
閑人こそ銘とすべし。
こんにちは。本田陽彦です。
久しぶりに心から楽しい時間を過ごすことができました・・・。
先日、数年ぶりに小学校時代の同級生3人と会うことができました。
彼らはたまに集まることがあったようで、時折、私にも連絡をしてくれていたのですが、なかなか都合が合わず断念していました。
最後に連絡をもらってから8ヶ月以上経った先日、思いがけず食事のお誘いをいただきました。幸い何の予定もなく、夕食の場にまぜてもらったのです。
私が最後に彼ら会ったのは高校生の頃でした。小学校のときの恩師が転勤するために同級会を兼ねて集まったのです。そのときに寄ってどうするかと話をしたのが彼らでした。
それから数年ぶりに顔を見ます。私はなんとなく緊張しつつお店に向かいました。彼らは気を遣って、私がいる近くの店を予約してくれていたのです。
私が店に到着して少し遅れて彼らはやってきました。そして「すみません、遅くなりました」と、私と、彼らに会いたいと待っていた家族に言うのです。私の中のイメージは小学生のころのお友達のままでしたから、もうビックリしてしまって笑。とても嬉しくなりました。そうだよね、もう大人なんだもの。失礼しました。
お店に入るとちゃんとアルコールを頼むんだもの笑。これまたビックリして。
私たちの通った小学校では、名前に「さん」付けで呼ぶ伝統がありました。今はどうなっているのかわかりません。私は別の中学に行ったものですから、みんなのなかでは私だけ小学生のまんまだったのでしょう。「てるひこさん」と呼んでくれます笑
まったく違和感がない。恥ずかしい感じもしない。とても心がゆるんで、あたたかくて、ふわりと表情筋が解けるようでした。
「気を遣わなくていい。自分を作らなくていいから楽しいんだ」とそれぞれに言っていましたがまったくその通りで、そんなはからいなんてはじめから頭にないんですよ。
私の詩吟の師匠は70歳を過ぎても、小学生のお友達と年に何度も旅行をして、仲間の良さについて話してくださいます。私にはそんな経験がなかったものですから、ほほう、そんなものなのかと、何となしに聴いていました。
そんな私にもようやく理解できました。小学校の同級生とはこれほどまでによいものであるかと。
そんな仲間の一人は、小学生の頃の話をよく憶えている。まったく関心する。彼女によると私たちは今考えれば申し訳ないようなことを度々やらかしていたらしい。「そのとき私もいたか?」と尋ねてみるんだけれども、やっぱり「おった!!」と言われるんだから恐縮する(汗。
そんな彼女はもう結婚して、立派な奥さん、お嫁さんになっているのだという。こんなところで夕飯食べていていいのかと不安になるのだが、それはそれは立派すぎるお嫁さんであるから、誰も文句は言わないようである・・・。
小さいころから電車が大好きな彼は、今では特急列車でお客さんを安全に運んでくれている。私もいつか彼の運転する電車に乗ってみたいものである。帰りがけに駅の近くを通ると、「おれは休みの日まで駅や電車の音を聞きたくないんだ」と言っている。あれだけ電車が大好きだった男がこんなことを言うようになるなんて、なんだかおかしかった。
彼は面倒見がよく気がきくものだから、残りのお嬢さんたちから頼りにされている。この日は6時台からお迎えにあがったそうである。始発電車と変わらない運行であろう。頭が下がります。
もう一人のお嬢さんは、これまたお嬢さんという感じである。白熱する掛け合いのなかに、あいも変わらず、拍子抜けするようなことをヒョイと投げ入れる。すると前の2人からビシっとやられる笑。
彼らの勢いはこちらが圧倒されるくらいに大したものなのであるが、このお嬢さんがうまいこと寸止めするから流れがとまる。そこで収まるような彼らじゃないもので、それを引き金に勢いが増すのであるから見ていて飽きない笑。
また彼女はたいそうおもてになるようで、手持ち無沙汰であったことはない模様である。こんな大物が仲間内から出てくるとは想像もしていなかった笑
三者三様、みんないいキャラクターである。こんなところへ私を加えてくれたことに、心から感謝をしています。せっかく育んできた彼らの流れを、久しぶりに会った私が滞らせてしまったのではなかろうか・・・などと日頃しないような心配をしてしまうほどに楽しかった。
最後はしっかり家まで送っていただき運転しているところまで見せてもらえて。なにからなにまで感激の連続の夕べでした。
みんなありがとう。
あ、そうそう。「ひまじん」のライングループ、ご招待お待ちしていますよ!!
健やかで、危険がなく、心安らかに、幸せであれかし!
無事に帰って来ました〜
こんにちは。本田陽彦です。
シーマー認定儀式の調査、武道館大会の付添などを無事に終え、福岡に戻ってきました。
写真は儀式の翌日の早朝一時間ほど彷徨しながら辿り着いた鹿島灘駅です。疲れていますね〜笑 身に余る役を仰せつかり、大変緊張いたしました。生きている間にこのような経験ができ幸せでありました🍀
この後、鹿島神宮駅まで行き、高速バスで東京駅まで。それからヨーガの先生に数ヶ月ぶりにお会いし、ホテルグランドパレスへ向かいました。そこで会長と合流し日本武道館へ。
全国吟剣詩舞道大会(武道館大会)へは初めて行ったのですが、なるほど、ここが噂に聞く武道館であるかと。
会長の吟剣詩舞大賞を受賞される様子をお側で見守ることができ、このようなおめでたい瞬間に同席させていただき、至極光栄でありました。ありがとうございました。善い思い出です。
遅くなりましたが、ご報告でした。(ああ、40周年の記事を載せますと書きつつそれもまだ・・・💦)
私はアレルギーが出始めぐしゅぐしゅしております。皆様あたたかくしてお過ごしください。
健やかで、危険がなく、心安らかに、幸せであれかし!